俺の日
すっかり晴れた。昨日の雪嵐が嘘みたい。午前10時まで家にいた。目黒の丘から五反田方向を見下ろすと家並みがくっきりと浮かんでいる。
PCを開いて、スケジュール表のページを見ると、「本日バースディおめでとう」というワードが1月19日の欄に張り付いている。そうか、今日は68回目の生まれた日か。
誕生日で気になっていることが一つある。俺の生まれた時刻だ。午前か午後か、早朝か深夜か。一度、亡母に聞いたと思うが、すっかり忘れた。なんとなく早朝の気がするのだが根拠がない。母から聞いたときどこかにメモしておけばよかったのだが。星占いには誕生日、誕生月とともに誕生時刻が必要になる。なんとか、自分の生まれ出た時刻を知る術はないだろうか。
母方の実家、大津市上平蔵町で昭和23年、戦争が終わって3年後に俺は生まれた。日本でもアメリカでもベビーブームの時期だ。生まれたとき、産湯を使った盥は、祖父がわざわざ闇市へ行って入手したものだ。盥の底には、「為初孫」と墨で黒々と記されていたという。晩年の母がそのことを短歌にしている。
50年前の誕生日、18歳の俺は高校卒業を間近にしてうかれていた。親元を離れて金沢で1人暮らしになると羽根を伸ばし始めていた。その日、雪が積もっていたと思う。外出するのも億劫で、ひねもすテレビの前に座っていた。50年後にまさか表日本で暮らすことになるとは想像もしていない。当時のお気に入りの番組は、音楽バラエティ「シャボン玉ホリデー」。ザピーナッツの「beside garden 」エンディングテーマが気にいっていた。まさか自分がテレビの番組を作るとはまったく考えてもいなかった。将来何になりたいか、クモを掴むような案件だった。あれから半世紀。もとい「反省期」。
いったい50年、何をしてきたのだろう。まさに、「初暦知らぬ月日は美しく」か。
赤坂の試写室から帰って、オフィスの隅でほっこりお茶を飲んでいる。
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