時雨来てとんぼの形見ほろほろと
時雨のなか、目黒図書館に出かけた。日曜日とあって、権ノ助坂には家族連れが多い。冬が始まったばかりなのか、どことなく賑わいというか華やぎというか、ヒトのぬくもりのようなものが多く感じられた。むろん雨は冷たいから、けっしてほっこりした気分に長くいさせてはくれない。でもせめてそれぐらいのぬくもりをあの去っていった人にも贈って上げたい。
前回のブログの御題どおり、寒くなると途端に訃報訃音が次々に舞い込んで来た。
昨日の朝、敬愛する先輩のTさんから一報が入った。新宿ゴールデン街の「とんぼ」の秋子ママがついに亡くなったという。2年ほど前に乳がんになり闘病を始めたと聞いていたから癌が最大の敵だとは知っていたが、まさかこんなに早く逝くとは予想しなかった。
1ヶ月前、久しぶりに店が開いていたので寄って、秋子さんと30分ほど話し込んだことがあった。そのときは、脱毛してウィッグをかぶっていて、本当は丸坊主だよと自嘲しながら語っていたが、死期が近づいているなんてことはこれっぽちも思わせなかった。来年は週に一日だけ店を開けるつもりだと笑って語っていたのに。
秋子さんとは出会ってから今年で25年ほどになるだろうか。ちょうどバブルの真っ最中で、まだ主婦だった彼女は友人のやはり主婦のHさんといっしょにKさんの主宰する飲み歩きの会に参加していた。そこで私たちは出会った。主に新宿や四谷の割烹や居酒屋を徘徊したが、年末年始には浅草の観音裏の江戸料理の店や「あまかす」などで節季のお祝いなどをしたものだ。その頃、タクシーがなかなか掴まらず、始発の電車を待つため、ゴールデン街で夜明かしすることも少なからずあった。
バブルが弾ける直前、美空ひばりの死からほどない頃、飲み歩きの会のリーダーのKさんが五十半ばで急死した。主人を失った飲み歩きの会は次第に萎んで行った。
数年後、秋子さんは主婦をやめてシングルになったと言って、ゴールデン街の真ん中で「とんぼ」という酒場を始めた。私はディレクターの仲間や後輩を引き連れて繁く通うようになる。
その後、私は広島へ異動し、帰ってきて脳出血を発症したり大磯へ転居したりして、とんぼへ通うことも少なくなる。この3、4年は秋子さんと顔を会わせることも、年に2、3回となっていたであろうか。だが、20年来の友は懐かしく、新宿へ足を向けるようなことがあると、よく「とんぼ」の前まで行ったが、最近は店が閉まっていることが多くなっていた。
秋子さんはたしか私と同年のはずだ。まだ67歳だった。画が得意で、店の壁には自分で描いたデッサンが架かっていた。彼女の前半生がどういうものであったか詳しくは知らない。が、涙と無縁の人生ではなかったのじゃないだろうか。時折、伏し目がちになる表情にそういうことを感じた。結局、25年も付き合って、何も知らない人生だったが、秋子さんという大事な友だちを失ったという喪失感が、ほろほろとこみ上げてくる。
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