たまおき一座がやってくる
今から11年前、平成6年のテレビ台本「たまおき一座がやってくる」が手元にある。中国地方だけで放送された歌謡バラエティ、月に一回放送の45分の番組だ。この番組を作るために2年間中国地方を歩いたことは私にとって忘れられない出来事だった。
主役で司会は玉置宏さん。ゲストは毎回男女の歌手二人だけと、いたってシンプルな構成だったが、見せ場はそれなりにあった。フルコーラスの歌と玉置節、そして二人の歌手の普段見せないコミカルな芝居、トークが売りだった。
ローカル番組だから予算は低額だったが、司会や出演者は一流、カラオケは使用しないで生バンドに入ってもらった。広島のバンドで豊島芳文とジ・インプレッション、12名が参加した。
この番組は中国山地の山間の小さな町を中心に巡った。普段、歌謡ショーなど来たこともない小さな町の公会堂や小学校の体育館で開催した。こういうルールは、この企画を立てた芸能デスクと私とで決めた。当時、私は広島の局にいて、中国地方の番組の統括をしていた。元来私はドキュメンタリー番組専門だが、このときは芸能番組も関与していたのだ。
本番の前日から私は現地入りして、会場の下見、段取り、セッティングなどに立会い、翌日は朝からリハーサル、直しとびっしり詰まったスケジュールをすべてこなした。広島での仕事がどんなに多忙でも、私は必ず参加した。地元のお客さんのあの笑顔が見たかったのだ。
開催当日は、会場の入り口に昼過ぎから長い列ができる。本番は午後6時過ぎというのに、弁当をもった近隣の爺様や婆様が集まってくるのだ。この山中のどこにこれほど人がいたかと思うほどの人が来るのだ。
会場のゲートが開くと、われ先に走り出す。会場はゴザを敷いたところに直に座るようになっている。一族で場所を占拠してから飲み食いが始まる。まるで「お花見」状態だ。下がった緞帳の内側から音あわせがもれると、興味深そうに耳を傾け、まだ始まらないと見るとまた飲み食いに集中する。
時間が来て、まもなく始まりますと声をかけるのが私の役目だった。「本番1分前」とカウントダウンしていくと、みんな私のキュー(合図)を出す右手に注目する。
私は内心(もうすぐ、面白いものが見られるんだよ。期待していてね。)このときが一番うれしい。
――幕があがる。玉置さんの名調子から始まる。
「歌と共に、喜びがありました。歌と共に、涙がありました。胸の思いが溢れそうになると、わたしたちは歌を歌いたくなります。こんばんは、玉置宏です。今宵は酒どころ、島根県、××町にやってまいりました。それではさっそく始めましょう。たまおき一座がやってくる!!」→大拍手
この番組を企画したとき、アメリカのリングリングサーカスのことを思った。広いアメリカを興行して回るリングリングサーカス。それは子供だけでなくおとなも夢中にさせる。亀井俊介さんの名著『サーカスが来た』が、タイトルを決めるとき頭に浮かんだ。
楽しかった。人に喜んでもらえるということが、こんなに楽しいことだとは思ってもみなかった。
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