田中英光の『さよなら』を読んで
田中英光の『さよなら』という小説ともエッセーともつかない作品を読んだ。
田中は戦前のロスオリンピックにボートの選手として出場して、後にその体験を
『オリンポスの果実』という青春小説に著したことで知られる。その輝かしい青春とは違う晩年を田中は送った。戦後、酒と女とアドルムにおぼれてデカダンスに陥り、師事した太宰治の墓前で自殺したのだ。彼は戦前から戦時中にかけて苛酷な体験をし深い傷を負っていた。
『さよなら』は日本人の離別観を、かなり否定的に描いた作品だ。その中で、昭和12年、召集されて、中国戦線で戦ったことを書いている。
山西省の雪に埋もれた城壁に前で、裸にされた中国人が墓穴を掘らされているのを、兵隊の田中は目撃した。その穴のそばに二人の日本兵。一人は大阪の円タクの助手だったという万年一等兵、いわゆる古参兵だ。もう一人は大学出の体の大きな初年兵。一等兵が初年兵に剣付き鉄砲を握らせ、突けと指示する。ためらっているのを見て、一等兵が鉄砲を奪い取り、中国人の腹に突きたてた。
「中国人は声なく自分の下腹部を押さえ、前の穴に転げ落ちる。ぼくは鳥肌たち、眼頭が熱くなり、嘔気がする。(さようなら。見知らぬ中国人よ、永久にさようなら)」
田中は濁った眼差しで、当時を思い出しながら、情景をくっきり浮かび上がらせる。
――この作品は、戦後まもなく書かれた。この頃は、まだ日本人はヒリヒリするような傷をかかえていた。
加藤典洋は『敗戦後論』で、アジアの犠牲者1千万の前に、日本の死者300万を追悼せよと説いた。
戦争を体験していない私にとって、戦争の死者はある意味等距離にある。
母の兄がフィリピンで終戦と同時に行方が不明になり、母は今もその兄を偲んで嘆く。
だが、私にとってその叔父もアジアの戦争犠牲者も、同じ思いを抱く。いや、ひょっとすると、田中から教えられたこの中国人のほうへの思いが強いのではと、思うのだが。
8月は、日本では追悼の月となった。6日、広島の日。9日、長崎の日。15日、敗戦の日。