サヨナラだけが人生だ
今思い出してもぞっとするし、恥ずかしい。
20年前だ。「黒い雨」という原爆調査ドキュメンタリーを制作したことがある。
広島と長崎に原爆が投下された直後に降った雨のことだ。放射能を含んだ有害な雨の
正体を探る番組だった。
小説「黒い雨」は戦後日本文学の最高峰といわれた作品で、文豪井伏鱒二の代表作だ。
黒い雨のことがよく知られるようになったのは、この小説によるところが大きいといえよう。
同じ題を使用する以上、一度ごあいさつしたほうがいいのではないか、という意見が周囲から起きた。私はディレクターとして、代表してご自宅に伺うことにした。その頃、長崎に住んでいたので、空路飛んでいった。
荻窪、清水町の家の前に立ったとき武者震いした。
玄関を開けると、やさしそうな奥様が出てこられた。用件を言った。あらかじめ、新潮社の編集者の方から用向きを伝えてあったので、すぐ書斎に通された。
先生は壁を背に座っていた。全集の写真で見た、あの福福しいお顔だ。思ったより高い声であいさつされた。
大切な時間を頂いてありがたい、「黒い雨」のことでお願いにあがったと、私は用件を切り出した。
すぐ、承諾を得た。ほっとした。気が緩んだ。
折角と思って、長崎で見つけたレザノフ来航の記録について、先生のお耳に入れた。愉快そうに先生は聞いておられた。
30分ぐらい話しただろうか。奥様がお酒とお鮨をもってこられた。先生が「まあ、一杯どうぞ」と言われて、銚子を持たれた。恐縮しながら、でもすぐ私は杯をさし出した。
うまい酒だった。菊正かな。とろりと旨酒だった。ふと先生の背中の上に目がいった。
絵が掛かっている。枝に留まる鳥の図だった。徽宗の絵のようだ。まさか。
でも、井伏鱒二ともあろう人が模写を応接の場に掛けるなんてことはないだろう。では本物だろうか、脳が熱くなってきた。とここまでしか記憶がない。
ふと気がつくと、柾目の天井が見えた。うん?どうやら私はひっくりかえって寝ているらしい。ここはどこだ。あっそうだ、井伏さんのお宅だ。
慌てて起き上がると、先生は静かに悠然と酒を飲んでおられた。
それから、どうやって辞去したかもはっきりしない。ただ、失礼なことをしたと深謝し慌てふためいて外へ出た。
荻窪教会通りを乾いた風に吹かれて、ほろほろと帰ったことだけ覚えている。
その後出版された「荻窪風土記」を読んだら、荻窪は風荒き町と井伏さんは書いていた。
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