「砂の器」 今西刑事
東京は暑い。炎帝という言葉にふさわしい太陽に「帝都」は灼かれている。
「砂の器」でも、いかにも日本の暑い夏が描かれていた。二人の刑事が犯人を追って
真夏の日本列島を歩き回る。暑さに呻吟する光景は、同じ野村芳太郎監督の「張り込み」でもあった。奇しくも原作もまた「砂の器」と同じ松本清張。「張り込み」は油照りの佐賀の町、「砂―」は山形、蒲田、山中、奥出雲、伊勢、と舞台を転々とする。
「砂―」では、年長の今西刑事と青年刑事吉田が活躍する。丹波哲郎扮する今西は警視庁本庁のデカでありながら出張の経費にも気を遣う苦労人。吉田は西蒲田署の若手で張り切りデカで森田健作が演じる。その組み合わせは悪くない。
「東北弁のカメダ」だけを手がかりに、二人は遠路山形県の羽後亀田まで調査に出かける。ところが有力な情報を得ることなく帰途につく。空振りの調査となったことを、今西はすまなく思っている。
やがて、意外なことから被害者の身元が割れ、今度は今西一人だけで奥出雲に出張する。捜索はかなり進むが肝心のことは不明のまま、今度も落胆の出張となった。
空振りが続く出張に対して申しわけなく思う今西刑事。ついに次の旅は自費で出かけることとなる。
被害者の足取りを追っていくと伊勢市が浮上したのだ。その調査に今西は休暇と自費を使って出かけた。結果がでない出張ばかりで申し訳なく思った今西の決断だ。
――彼は誰に対して、何について申しわけなく思っているのだろう。
出張を命じた上司か、そうとは思えない。公務員だから納税者(タックスペイヤー)に感じているのか。昔気質の今西の思考にそれはないだろう。
どうやら、すべてお見通しの「お天道様」のような存在に対して申しわけなく思っていると、推測される。昭和も40年代頃までは、そういう考えは古臭いと揶揄されながらも一方では民衆の規範としてまだ機能していたのだ。そういう人が私の周りにもいたことを、今懐かしく思いだす。
年輩の今西刑事は俳句が趣味だ。あまりうまくない句を作って、若い刑事から爺くさいと見られる。そういう今西に私は共感をもつ。今西は本庁の刑事だがそれほど立身出世しているとは思えない。地味で真面目な男だ。犯人の境遇に同情もする人情刑事でもある。だがいったん罪とみれば容赦もない一徹な男――この今西の中にある生真面目な部分が、いたく心に残った。
バブルを体験し国際化情報化によって大きくライフスタイルを変えた今の日本人には、「申し訳ない」という感情はもっとも理解しにくいものとなってしまった。だが、居酒屋の小あがりで焼き鳥片手にビールを飲む男たちのつつましさが、なんとも素敵にみえる。
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