続き
1998年7月の夕方、和歌山県和歌山市の園部地区で行われた夏祭において、提供されたカレーに毒物ヒ素が混入されて複数の人が死んだ。和歌山毒物カレー事件である。犯人として主婦林真須美が逮捕起訴された。
そして林には死刑が宣告され確定した。
林は死刑確定者だ。日本には現在130余名の死刑確定者がいる。
死刑確定から1年ほどで執行された大阪のTのようなケースもあるが、だいたいは数年ほどを経るようだ。執行されることは、その日の朝に突然告げられる。それから1時間後には刑場の露と消えるのだ。その朝が今日ではないかという恐怖が毎朝ある。林真須美も例外ではなかろう。
そしてその朝を過ぎると、死刑囚は次の朝まで命があることを実感し、短い安堵をむさぼる。だが放っておけばすぐに死刑の恐怖が頭をもたげ、過去への後悔が襲ってくる。妄想と孤独、恐怖の世界。そこからの束の間の逃走として絵を描くことを選ぶ囚人が少なからずいるという事実を、この鞆の津ミュージアムで初めて知った。
囚われてからおよそ10年。林真須美の画力は著しい進歩を遂げていた。初期に描いた「母と子」はおそらく差し入れられた漫画雑誌から模写したものであろう。稚拙な表現だが、若い女性が両脇に子供を抱くその手が腕がすさまじいエネルギーを放っているのが印象的だ。添えられた林の文章を読むと4歳で手放したという3女への思いが痛切だ。思いはともかく絵はけっして上等とはいえない。
ところがそれから数年後に描かれた「国家と殺人」「ピカソ」「四面楚歌」「青空泥棒」といった絵は完全な作品に仕上がっている。「国家と殺人」は、絵の中央に太鼓橋のようなオブジェが描かれ、その図形の中心に細かい皺が寄せ集められている。画面全体を支配する赤がつよい緊張感をかもしている。「四面楚歌」は終日独房で監視されている苦しさを必死で訴えていた。
林真須美は無実を訴え、現在再審を請求中である。
もうひとり気になる絵を描いていたのも女囚だった。風間博子。作品のタイトルもずばり「無実という希望、潔白の罪」彼女も無実をつよく主張している。
色紙の切れ端を丁寧に貼りつけた点描「祈りの母」。優しい穏やかな母の表情。作者の松田康敏元は昨年3月に死刑執行されている。
この美術館に入館して1時間半。酸素が減衰していって窒息するような苦しさを覚えた。はじめての体験である。
あの絵を目にしてから3日経った。目に焼き付いている。まだ、この極限美術に対しての冷静な評価ができない。
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