詩人・吉野弘
今までに、詩人には数えるほどしか会ったことがない。大岡信や
ねじめ正一、楠かつのり、石川逸子そして吉野弘らだ。
いちばん心に残った人は吉野弘さんだ。山形出身の「素朴」で「繊細」で
「剛直」な人だった。ラジオ番組でお会いして、長崎に転勤してから現地の番組の
ために来てもらった。
長崎は夕焼けが美しく、吉野さんの代表作「夕焼け」を忘れることができなかったのだ。
――ひとりの娘が満員電車で老人に席を譲った。その人は礼を言って去った、その後また老人がきたので席を娘は譲った。同じことが三度起こった。今度は娘は老人に席を譲ることができなかった、下を向いたまま。・・・
その詩〈夕焼け〉の後半を以下に紹介する。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて――。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持で
美しい夕焼けも見ないで
この詩を書くきっかけになった経験について、吉野さんはエッセーに記している。その
文章がまた素晴らしい。昼休みにブックファーストで買った「詩の森文庫」にそれを見つけた。
〈いつのことか思い出せませんが、老人に席を譲った少年がちょっと足の悪い
身障者だったことがあります。少年は席を譲ると、はずかしそうに人ごみにまぎれこんで
しまいました。苦痛を知っている人ほど他人の苦痛に対して思いやりが働くのだなと私は
思い、そのことがいまだに忘れられません。〉
どうだろう。詩人の魂とは何と優しいのか。真情溢るるやさしさ、とでも言いたいほどだ。「はずかしそうに」というのは、吉野さんが感じたことによる表現だ。
今、吉野さんの経歴を読んで気が付いたのだが、もう一人私の好きな作家藤沢周平も、
酒田と鶴岡との違いはあるにしても同じ山形出身だ。しかも昭和25年に結核による胸の手術を、東京小岩で受けて1年あまり療養している。藤沢も同じ頃東京清瀬で手術を受けている。吉野さんは幸運にも薬が効いて故郷へ帰った。藤沢は長い療養を経て、故郷の職を失い東京で働くことになる。多少の差はあるが、よく似た経歴だ。二人とも苦境を経験しながら他人に対して優しい。
生前の藤沢を私は知らないが、吉野さんからその人となりを想像すると嬉しくなる。
それにしても、吉野さんの言葉に対する敏感には舌を巻く。
過という字に、すごす、あやまつ、という二通りの読み方に、吉野さんは反応したのだ。
過
日々を過ごす
日々を過つ
二つは
一つことか
生きることは
そのまま過ちであるかもしれない日々
「いかが、お過ごしですか」と
はがきの初めに書いて
落ち着かない気分になる
「あなたはどんな過ちをしていますか」と
問い合わせでもするようで――
よかったらランキングをクリックして行ってください
人気blogランキング