初代貴ノ花、二子山親方が死んだ。享年55.早い死だ。
ワイドショウは朝から、その話題で騒いでいる。惜しまれる死、素朴な人柄。
飾り立てた言葉で故人を“悼む”。
あるワイドショウでは、友人の竜虎が故人の子煩悩ぶりを紹介すると、司会が「やさしい
人柄で惜しいですね」とフォローしたとき、私は憤りを感じた。
幸せな一家が、後年壊れてゆく様子を、ワイドショウはこれでもかと言わんばかりに
報じ、親方の子育て、生き方を口をきわめて批判した。
口下手で頭をさげるしかできない親方は、真意が分って貰えず、無能呼ばわりされた。
そういう仕打ちをしておきながら、早世したとて美談でもちあげる卑しさ。
いや、そういう業種だからこそ豹変して、親方の死を「非業の死」として商売するつもりなのだろう。
マスコミ(大衆伝達)の進展は民主主義に寄与した面が大きいが、一方個人のプライバシーが
切り売りされることにもなった。昔なら町内の噂ですんだことが、今や国レベルまで広がる。押し広げるために、話は面白おかしく刺激的に変容されていく。凡庸な死ではなく過剰な縁飾りをつけた死になっていったのだ。
二子山親方と私は2つしか歳が違わない。ちょうど現役定年にあたる。そこで人生も終わりを迎えるというのは、あまりに惨い。身につまされて言葉もない。
首相談話などで、悼むことなど止めてもらいたい。全身で生き抜いた親方の生涯を月並みな言葉で括らないでもらいたいのだ。
親方の死をもてあそぶなと、言いたい。
彼にゆっくり眠らせてあげたい。
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夜来の雨があがり、森はぐっしょり濡れそぼっていた。