梅若
能の「隅田川」に伝わる梅若伝説は、先年清元のドキュメンタリーを制作したときに知って、以来その哀切な物語にこころがずっと惹かれている。
晩春、隅田川の渡し舟の船着き場。ひとりの狂った女が来て渡し守に訴えた。
「都の北白川に住むものだが、可愛い一人息子を人商人(ひとあきひと)にさらわれてしまった。行方を聞けば東国へ下ったそうな。心乱れてその子を探しにはるばる隅田の川まで参ったのです」
話を聞いてほだされた渡し守は狂女を舟に乗せてやり対岸の下総の側へと向かう。向こうへ着くと、柳の根方におおぜいの人が集まっている。何かと狂女が問うと、「供養のために」と渡し守が答えた。去年、人さらいに連れられた少年がこのあたりで病になって倒れ、うち置かれたために横死した。その哀れなこどもの弔いのために村人たちが集まっているのだという。驚いた女は問うた。「その子供の年は?」渡しは「12歳」と答える。
「その子の名字は?」「吉田の某」「その子の名前は?」「梅若丸」
話を聞くうちに狂女ははらはらと涙を流す。「行方知れずになった我が子を探して、見知らぬ東国まで旅してきたのに。今はこの世におらず、この塚の下に眠る身となりはてたか」と、母である狂女は、ここに眠る霊こそ探しもとめた我が子であると嘆くのであった。
「げに、目の前の憂き世かな」と最後に地謡がうたう。
8年前から京都で教鞭をとっているのだが、大学のキャンパスがある地番は吉田本町。すぐ近くに北白川道が通っている。この梅若伝説の舞台と重なるのだ。そういう縁もあって、この物語はなんとなく近しいものに感じてきた。
そればかりか、人さらいの逸話は亡き母の体験談と重なることもあって身につまされることが多かった。
昭和初年、小学校に上がる前だった母は夕方ひとりで遊んでいると、見知らぬおじさんが声をかけてきた。隣の町で祭りが開かれているから見に行こうかという。綿菓子を買ってあげるからという言葉につられて、母はその人と手をつないだ。真っ赤な夕日が大きく、その男の人はにこにこ笑っていた。
隣町に入ったところで、たまたま、顔見知りの近所のおばさんと会った。「みよちゃん、どこへ行くの」と聞かれたので、「このおじさんとお祭りに」と答えた。不審に思ったおばさんは母を陰に呼んで私と一緒に帰ろうと諭した。それを見ていた男の人はあわてて離れて行ったと、当時を思い起こしてさも怖そうに語ってくれたことがある。このエピソードは徘徊癖のある私を戒めるのに十分役にたった。
12月22日は母の命日。3年前の今日、母は83歳で死んだ。近江で生まれて、若狭に嫁ぎ、クリスチャンとなって3人の男の子を育てた。クリスマス間近に昇天したことは、今から思うとよかった。母の信仰が天に通じたような気がする。
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