ブログは灯台
懐かしい人からコメントをいただいた。2009年に卒業した“教え子”のYさんからだ。
Yさんはメディアに関心をもつ熱心な学生で、前期の演習、集中講義の2つとも受講してくれた。テレビ局の就職を希望したこともあって上京して見学するお手伝いをしたこともあった。その思いに応えたいと、懸命に指導したが、残念ながら望みどおりの就職とはならなかった。今は、関西の銀行に勤めている。
その銀行のある町で私は生まれた。琵琶湖のほとりに母の実家があった。その祖父母の家で誕生したこともあって、幼い頃は上平蔵町の電車端の家によく行ったものだ。今でも、浜大津のターミナルを通過するたびに懐かしさでいっぱいになる。
3年前、母がまだ息災だった頃、上平蔵町の家を見に行ったことがある。十年ほど前に人手にわたったこともあってご無沙汰していたのだが、京都の授業の帰りに寄って見た。家の造作は変わっていなかったが、玄関がサッシになったりガレージが建て増しされたりしていた。(おじいちゃんの家でなくなった)
寂しい思いで敦賀に行って母に報告したことがある。
そのとき、たった一つ明るいエピソード。Yさんがこの町で働いているのだということだった。知り合いが、教え子が、私の生まれた街で仕事をしていると想像することが小さな慰めとなった。あの県庁に近い銀行の本店で一生懸命働いているYさんの姿を想像すると嬉しくなる。思いがけずその人から、ブログへコメントをいただいた。
来年1月の完全定年を前に身辺を整理している。ところがなかなかふんぎれないものが2,3ある。一つはオフィスのパソコンの受信情報だ。現在、4000件ほど備蓄されている。仕事で出会っただけの人のものから音信が途絶えた人まで雑多だが、廃棄する気が起こらない。件の人たちとの残されたわずかな絆と思えてならない。だから後生大事に抱え込んでいる。
もう一つはブログ。2005年2月1日から始めたブログも今では3000を越える記事の数となった。「春のワルツ」の取材の頃はソウルへ出張しても、このブログに記事を入れようといろいろ算段するほど夢中になったのだが、ここ1年ほどは気持ちがなかなか奮い立たない。では閉鎖するかと問われれば、それは否。
こうして、不特定な読み手に向かってブログを開いているからこそ、Yさんのような懐かしい人からの連絡が入るのだ。
ブログは灯台のようなものだと思う。自分が書いた記事が灯りとなるなんておこがましいことを言うのではない。暗夜に、細々とした光であれ灯していれば、誰かがそれを見つけてくれる。そして、また再会することも夢ではなくなるのだから。
さて、完全定年以後の備えも少しずつ始めようと思う。
手始めに、自分のネット上のアドレスを確立すること。これは昨夜自宅のパソコンに施した。SO-NETの住所だ。これから出会う人たちには、この新しいアドレスを案内することにしよう。
ちなみに、Yさんまたご連絡ください。
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