左耳
幼い頃に中耳炎を患ったことは、以前書いた。父と銭湯に行ったときにアタマを洗ってもらっているときに、不注意から耳に水が入り、それをこじらせたのだ。以来、小学校3年ほどまでの数年間、中耳炎の「耳垂れ」に悩まされた。体育や運動のときが一番困った。海で泳ぐことも1,2年禁止された。少年時代のもっとも不快で悲しい出来事のひとつだ。
完治して40歳までは何も起こらなかった。その頃、私の両耳の耳垢はぱさぱさ系だった。耳垢にはパサパサ系とねっとり系の2系統があると聞く。
もっとも多忙を極めた成増時代に風邪をひいたことから、中耳炎が再発した。42歳、1992年のことだ。それから成増耳鼻科に半年通う。毎朝、耳鼻科のまだ開いていない扉の前に行列に加わって並ぶことは苦痛というより、手数がかかって面倒くさいものであった。この頃の私はコロンブスアメリカ大陸到達500年の特番を担当していて、共同制作のスペイン側とうまく連絡がとれずイライラしていた。
その耳鼻科にはネブライザーといういささか時代遅れの治療器があった。鼻の両アナに二股のガラス管を差し込む(その姿はおぞましい。まるで手塚治虫のヒョウタンツギになった気分になる)。その管の先には気化した薬があって、それを吸い込むといういたってプリミティブな仕掛け。これを毎回10分ほど受けるのだが、薬の噴出に時間がかかって仕事に遅れないかとヤキモキしたものだ。この耳鼻科の院長は、当時60過ぎの老人(何てことだ。今の私はその老人よりも年長だ)で、最新の医学情報からはやや疎い感じがしたが、治療の方法は確実に治癒に向かうものを採用していたと、今になって思う。
あれから22年。先週、明け方に耳の奥で小さな川が流れた。眠っていたが、目が覚めた。一瞬にして中耳炎を発症したらしいと悟った。そして、週末に打ち合わせに臨んだときだ。突然、鼓膜の上にさらに膜が張られたように音が遮断された。左の耳しか聞こえない。おまけに自分の話す声が反響する。イラついたまま夜中となり、夜が明けて、すぐに近所の医院に行った。家から歩いて1分、近いのがいい。初診の受付をすませて、待合で待っていた。
しばらくして名前を呼ばれた。診察室に入っていくと、今はほとんど見かけないネブライザーが数機ある。珍しいこともあるものだと訝しみながら、院長を見て、思わず失笑しそうになった。何と、90歳にはなろうかという大高齢の耳鼻科医が例の額帯鏡を付けて直立している。「どうかしましたか」優しい声音でつぶやいた。
・・その医者は年はとっても名医だった。私の耳をのぞいて、前に何度か患っていますねと確かめると、綿棒をぐるぐると内耳に押し込んできた。チョー気持ちいい。
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