ゴローが死んだ
仲間のゴローが死んだ。56歳の若さだという。
先年、大腸がんにかかったといっていたから、そのぶり返しかと聞いたらそうではないという。最近、肺炎にかかったのだが、そのタイプが稀な圧迫性のもので急激に衰弱していったと消息を知る人が教えてくれた。
ひょんなことで友達になったのだが、仕事の上での接点はほとんどない。彼は音楽・伝統芸能番組のディレクターで、クラシック音楽の番組を担当していた。近年、ニューヨークで闘病する小沢征爾氏のNHKスペシャルで評判をとったこともある。本職は音楽番組で、ベルリンフィルやバイロイト音楽祭の打ち合わせなどで、世界を飛び回っていた。
大江さんがノーベル賞を受賞した1994年のストックホルムで、私は彼とばったり会った。
ゴローはたまたまストックホルム交響楽団と交渉で滞在していた。大江さんの受賞番組を撮影していた私は王宮そばのホテルに陣取り、大江家の人たちの動きをつぶさに記録していた。その作業のさなかに会ったのだ。異国で知人と出会うと感激するものだ。その夜、私はロケのスタッフに断ってゴローと食事をした。白夜が近づいており、いつまでも明るいストックホルムの旧市街をぶらぶら散歩しながら、東京の、職場の話題や人事の予想で終始したのは、サラリーマンの悲しいサガか。
ゴローの詳しいことは知らないが、出身は東大で芸大ではない。サークルでバイオリンを弾いていたとは聞くが、彼とクラシック音楽がどんなふうに遭遇したのかは聞きもらした。だがギョーカイでは彼の音楽センスは高く評価されていた。その噂は折りにふれて聞いた。
8月も信州で開かれた斎藤記念オーケストラの収録に立会い、編集作業は病室から電話で指示していたという。才能が豊かで、これからが期待されていたのに、50半ばで命運が尽きたゴロー。祈冥福。
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