南三陸町
陸前高田は三陸のリアス海岸のなかでも稀な広い平坦地がある。気仙沼方向から街へ入って行くとすぐに「奇跡の一本松」が目に入る。
街全体を眺めようとすると造作ない。遥かかなたまで一望できる。何もない。ただ白茶けたがれきの原が延々とつづく。おそらく事故後に作られたと思われる取り付け道路が、がれきの原のど真ん中を貫く。スピードをあげて道の奥まで進む。1本松エリアにまばらな人影が見えるだけで、あとは見事にノッペラボーだ。子供の姿はもちろん年寄りすらいない。とにかく人はいない。街にはおそらくかつて賑わいを見せたであろう繁華なエリアもあるが、すべて崩れて、夏の暑い日差しを浴びて白く光るのみ。はじめて恐怖が身内から湧いて来る。
結局、高田ではどこへも寄らず車から廃墟を目撃するのみ。街を出て、再び南下した。この日の宿のある南三陸町をめざした。陸前高田は岩手県、気仙沼、南三陸町は宮城県となる。2時間ほど山沿いの自動車道を走った。
南三陸町。2005年に志津川町と歌津町の合併によって町は生まれた。町内には気仙沼線の駅が5つほどあるそうだが、私らは歌津地区にまず入った。ここも見事に町が壊れていた。山陰にある歌津駅も線路がもぎとられ、駅舎も半壊。その下方に広がる町はまだ壊れた家々が重なって放置されている。ある住宅の鉄筋の杭が残る場所に子供のおもちゃのようなものが数点置かれてあった。そのそばに金の腕時計がこれまた供養のようにして供えられてある。高価なものと思われるが、誰もとっていかない。それらの「遺品」が夏の夕方の陽を浴びてころがっている。ただそれだけのことだが、胸うちを鷲掴みされた気がする。
その夜、三陸町の山間にある泊崎荘に宿泊した。泊まり客はほとんど復旧工事の関係者。和室の家族用の部屋で寝たが、夜中に目が覚めた。
窓を開けて、昼間歩いた歌津のほうを見やる。黒い影しかないが、何か訴えてくるようなものを感じた。眼下の海の潮騒がいちだんと大きくなった。
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