他者の記憶
戦争が終わって60年以上。還暦を越えたことになる。ひめゆり部隊にいた上江田千代さんは戦争体験を証言したとき、「わたしたちには、戦後70年はない」と述べたと、青山学院大の佐藤泉さんは記している。たまげた。しばし考えて、同意。
・・・戦争が終わったとき10歳の方でも2015年、戦後70年には80歳になっている。いくら長寿といっても、戦争体験者の平均寿命が80を越えることはないだろう。つまり、この数年のうちに戦争を記憶し、証言する人たちはバタバタと消えていく。
そのあとは、私のような戦後第1世代が親たちの記憶を受け継ぐことになる。他者の記憶を私たちは生きることになる。
長崎、広島で番組を作っていたとき、いつも感じたのは被爆証言の把握の難しさだ。
体験したときのことをインタビューする。収録したテープを持ち帰って編集する。まず、話題と関係のない話は切り落とす。言い間違い、不明瞭な点は外す。前後関係が転倒していたり人間関係の親密さが不明であったりする部分を可能なかぎり並べ替えて、整理する。だが、できるかぎり、その人の感情に残留しているものを残し、その口調を壊さないようにするため、強引な変更はしない。というふうに心がけていた。
そして、完成したものを当人に聞かせる機会も幾度かあった。
すると、こう言うのだ。「こんなものじゃない。こんな話以上のものだ」
当人以外の人が語っているわけでない。語ったことを整理しただけだ。にもかかわらず、自分の証言を聞いて、その内容は自分が本当に体験し感じたものの数分の一にしかないと抗弁するのだ。
かと思えば、あまりに物語が美しすぎるものもあった。第3者的事実とツジツマが合わないこともあった。
広島の場合、原爆投下から1ヶ月も経たないうちに、巨大な台風に襲われたという体験が重なっているということも災いした。そのときの被害と爆弾の被害が混同しているケースがあったのだ。長崎では、死者の霊魂がさ迷い出ているという証言を得て、さてどう取り扱っていいか、おおいに戸惑った。
いずれにしろ、体験者たちは膨大な戦争の記憶を残してくれた。それを手にして、私たちはどう聞き取っていくか。
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