紙芝居
今編集作業に入っている「3丁目の夕日を探して」(仮)で、子供たちを夢中にさせた紙芝居のことが出て来る。昭和28年から33年の頃だ。
教育委員会などは巡回図書館や移動図書館の施設や車を作って、良書や偉人伝をこどもらに読まそうとするが、そこへやって来る街場の紙芝居にこどもらは夢中になったと、東京足立区でインタビューした私と同世代の男性が証言する。
全国的には、紙芝居屋は自転車に積んでやって来て、客集めは拍子木を打ち鳴らしたとものの本には書いてある。
私の記憶では、わが街ではラッパを鳴らした。つば広の帽子(ハット)をかぶったおじさんが、自転車のスタンドを立て、紙芝居をセットすると、腰にぶらさげたラッパを口にあてて、トテチテターと威勢よく鳴らしてこどもらを集めた。それを聞きつけたこどもは5円か10円を握りしめて、列を作った。
紙芝居の見物料代わりに水飴を、おじさんから買うためだ。おじさんは引き出しを開けて、中の水飴を割り箸で巻き取って、ウエハースを2枚くっつけて、代金と引き換えに子供にわたした。水飴を買ったこどもらは紙芝居の前に一番いい場所に立って、見物することができた。
うちは紙芝居の売る水飴は不潔で食べてはいけないことになっていた。買いたくてもお金をもらえなかった。だから、紙芝居を「ただ見」することになるから遠巻きで見ることになった。
離れてみると、絵の詳しいことが分からないから、筋があまり理解できず、夢中になることはなかった。
ただ紙芝居の絵柄は好きで、のちに山川惣治の「少年ケニア」に出会ったときはすぐ好きになった。私から見て、紙芝居系の漫画は山川のほかには小島剛夕、水木しげる、滝田ゆうがいた。
私には紙芝居に夢中になったという実感がない。人だかりしている紙芝居の自転車から離れた場所から、うらやましそうに眺めている姿しか浮かんで来ない。他のこどもらのように「買い食い」できない我が家の掟をうらんだ。だから、街頭映画会があると、禁止されていたにもかかわらず、友だちや幼い弟をひきつれて、自分の街以外の映画会でも出かけた。行く時は夢中だが、9時を回って帰宅するころになると、家人から叱られることを思い出して悄然としたことを思い出す。
紙芝居→街頭映画→うどん屋の店頭のテレビ、が私の初期メディア体験かな。
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