なんでもない時間が流れていた頃
秋に茄子(なす)が出回るようになると「鰊なすび」が食べたくなる。身欠き鰊(にしん)の出汁で茄子を甘辛く煮た京都のおばんざいのひとつで、大津出身であった亡母が唯一得意とした料理だ。煮立てのほくほくした茄子も美味しいが、冷めた茄子を熱いごはんの上に乗せて食するのも悪くなかった。実家に帰ることを告げておくと、必ず其の夜の食卓には刺身と並んで出た。
父が死んだのが1994年。母が亡くなる2009年までの15年間は敦賀の家で母は独りで暮らした。寂しいこともあっただろうが、ボケることもなく息災に生きることが出来たのは幸せであった。私が京都の大学へ教えに行くようになって、帰りに実家に寄ることになったこの5年ほどは母と本当によく話をするようになった。そのなんでもない時間が今になって実に貴重なものであったと後悔しきりだ。
秋晴れの美しい朝の光が寝床まで差し込み、6時半に目が覚めた。太陽の位置がいつのまにか低くなっている。いったん秋になると、たけていくのが早い。今年も終わりのさまが見えてきた。完全定年の65歳まであと1年と少しになった。毎日、ぶつぶつこぼしながら仕事に向かい、ぐずぐずと健康の不安をもらしながら生きている。おまけに今年の大災害がどっかり心の上に覆いかぶさっている。こんな時間が後になって懐かしいものとなるのだろうか。
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