天野忠の老年
京都の孤高の詩人、天野忠のエッセーが本棚の隅から見つかり、ちょっとのつもりで読み始めたら止まらなくなった。本当は、橋本大三郎の今話題になっている「キリスト教とは何か」という新書を読むつもりだったのだが、昨夜は遅くまで天野に溺れた。
80過ぎまで生きた天野も、70をむかえる頃から老いを意識していた。それが、今の私の関心とかぶっているようだ。
本筋のテーマでなく、孫についての記述が滅法面白い。茨木で英語の先生を勤めていた長男が、そこで知り合った米国人と結婚してコロラドへ去った。かの地で2男1女を得た。上から、由美子、ジミー、ヒューだ。上の由美子とジミーが京都の天野宅を襲った一夏の思い出はみずみずしい。ジミーは幼稚園にあがったばかりのようだ。来るなり、靴のまま畳にあがり、庭に出て盆栽の鉢を蹴り、座敷にあがって泥だらけの靴で座布団に座ったとある。京都のおっとりしたジジババの仰天が分かろうというもの。
この青い目をした孫のことを、天野はずいぶん心待ちにしていたようだ。
それから10年経たないうちに、天野は車椅子の暮らしになる。その頃、日本の学校で教師をやっていた由美子が、天野宅に寄宿するようになる。由美子といっても顔は外人だ。だが気質はめっぽう優しい日本人。それでも、頑固でうるさい天野から見ると、行儀の悪い20代の今風の女の子に見える。呆れて、「親の顔が見たいわ」というと、由美子は「親の親の顔を見たいわ」と切り返して、ハハハと笑ったと、天野は本当に嬉しそうに記している。
いいなあ。こんな風景をいつかホームドラマに書いてみたいものだ。若い頃は恵まれなかった天野も、晩年になると評価が高まるだけでなく、プライベートでも優しい妻女と可愛い孫と義理堅い友ダチに囲まれて、いい人生を送ったようだ。
彼が引用している、太田垣蓮月尼の手紙の一節を引用しておこう。
「三十にてうんのひらけるもあり六十七十にてひらく人の御座候事ゆえ、ご機嫌よく長寿され候事のみねがい上まゐらせ候・・・」
運の開けるのも、30歳頃のこともあれば、60、70になって開けることもあるよと、優しい尼は諭しているのだ。
天野さんの人生はまさにこれだ。だが、とはいっても晩年の体の不自由は随分彼を苦しめたとも推測される。
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