急がれるものは
書店の店頭を見よ。「原発のウソ」「危ない原発」などの原発本の単行本、文庫本が山積みになっている。3月11日直後に、書店を回って、あまりに危機感がないことに苛立ったことにくらべると、隔世の感だ。
ところが、最近の私はそういうコーナーには近づかないし、手にとることもない。あまり読みたくない。テレビの特集も見たくない。逃げている。先日の大江さんの番組を作って以来、その方面の関心は私のなかで意識的に封印している。目下のアートドキュメントに専心するのみだ。
なぜ、こんなことになるのか。迷走する政治にあきれている。原発被害についてほとんど無策に近い。よくこんな政府で国家というものが保持できるものだ。
一方、私の昔作った番組のことを聞かれることが増えている。「黒い雨」「世界はヒロシマを覚えているか」の放射能、チェルノブイリ事故に関する映像についての問い合わせだ。現在のフクシマの被害を考察する番組を制作している若いディレクターたちから、私の番組の一部を引用したいという申し出が増えている。原子力の安全性を検証する番組なら、どんどん利用してもらいたいと願っているから、使用に関してはほとんど異存をもたない。
息子が4歳の頃だから24年も前だ。私はネバダの核実験場の風下を車で3日かけて走り回っていた。アメリカは1950年代に地上の核実験をネバダ砂漠で10数回行っていて、その灰が風下に降り注いでいた。ネバダ州の砂漠地帯にはほとんど人は住んでいなかったが、隣接するユタ州には人口3千、5千の町が散在していた。そういう町に異変が起きていた。羊飼いの牧童が倒れたとか、露天で洗濯をしていた主婦が甲状腺に異常が発生したとか、かすかだが何かが起きていた。私は住民の声を拾って歩いた。
黒い雨とは原爆が爆発したあとに降る放射能雨のことで、人家が燃えた煤と原爆の放射能が合体した雨だ。広島と長崎にしか降っていない。ネバダの砂漠では黒い雨でなくピンクの嵐が降っていた。砂漠のピンクの砂が巻き上がり、核実験の核分裂生成物質を含んだ砂嵐となって、風下区域に落ちていた。大半は人のいない砂漠だが、ユタには一桁の町があった。信心深い人が多いユタであったが、核実験の影響を受けて被害が出ていることを憤る住民は少なからずいた。ジャネット・ゴードンもそのひとりであった。
ジャネットとは長崎原爆の日の記念式典の会場であった。そのときに話を聞いて、私は現地を取材することになったのだ。その記録映像が今あちこちで取り上げられている。なんのめぐり合わせか知らないが、当時4歳だった息子は現在フクシマに入って取材を重ねている。
私がネバダの取材から帰った頃だったと思うが、『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』という本が話題になった。西部劇でネバダ砂漠でロケをしていたジョンは、ピンクの嵐に遭遇していたから、その影響を受けたのではという“仮説”のノンフィクションだった。放射能の影響というのは直接見える形で出てくることはほとんどない。だから因果関係が不明だからなかなか話題にならないのだが、人類は実際にはかなり影響を蒙っていたのではないだろうか。
ユタの町はかなりの高山地帯にあった。砂漠から一気に海抜3千メートルの山岳区域となる。車移動だと急激な変化で高山病になる可能性もあった。私たちのクルーは一台のステーションワゴンに乗り込んで、そろそろと山を登っていった。ザイオン・パークという国立公園だったと記憶するが。その途中のレストランで食べたキノコ汁が味噌汁のようで、とてつもなく美味であった。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング