ケツバット
「鶴瓶の家族に乾杯」を見ていたら、朝ドラで活躍するK君がゲストで登場していた。さわやかな笑顔で、今、朝ドラでも人気もので絶好調だ。
今から5年ほど前に、まだそれほど有名でなかった彼といっしょに仕事をしたことがある。ヒロシマの平和公園を訪ね歩くドキュメンタリーだ。
題して「ぼくはヒロシマを知らなかった」。修学旅行でちょこっと行っただけの広島平和公園を、再度確認の旅に出るというノンフィクションの番組で、90分の長いリポートを彼がひとりで行った。
彼をリポーターに起用したのは、その前年に読書の番組で、それほど売れていない役者の卵といわれる人たちを中心にスタジオ番組を作ったときのことだ。20歳前後の役者、タレントたちのなかで初々しくすれっからしでないK君の感じがよかった。その素朴な振る舞いが気に入ったディレクターが、8月の戦争関連番組のひとつに彼を主役に使いたいと声をあげたのだ。まあ、変な俳優意識も持たないK君ならいいだろうと、私も即座に賛成した。
春から初夏にかけて、ちょっと長いロケに入った。
7月の末だったか、番組の編集も終わり、最後のナレーション取りがやってきた。この番組は、平和公園のいろいろなモニュメントの歴史をK君が訪ね歩くことになっているから、彼の語り(ボイスオーバー)がかなりの部分を占めていた。
本番の日。朝から私もディレクターはもちろん、ミキサーやアシスタントミキサー、音響効果マンなどがスタジオに詰めていた。
10時から作業を開始することになっているが、肝心のK君が来ない。30分ほど経ったときに遅刻しているなと悟った。
11時前、K君が息を切らして慌てて飛び込んで来た。「すみませーん」と大きな声で謝った。
私の息子とほぼ同世代のK君を見ていたら、腹の底からむくむくと叱り飛ばしたいというオヤジ心が湧いてきた。だが、怒鳴って終わりでは、待たされた他のスタッフにも申し訳ない。役者だからといって甘い顔をすれば、そんなものかとスタッフの信頼も失う。だいいち、このままではK君自身も針のムシロ状態でやりにくいだろう。
私はどやした。「今、何時だと思っている。約束の時間からかれこれ1時間近く遅れたのだぞ。みんな、君のために10時前から来て準備をしていたのだ。
ここは、一発罰ゲームだ。」と大声でどなると、K君は不安そうな顔をした。
その日は雨で、傘をスタジオの隅に立てかけておいていた。それを手にもった。
「よーし、後ろを向いて」と指示。私はもっていた傘で、彼のケツを2回ポコーンと蹴っ飛ばした。
「すみませんでしたー」とK君はぺこりと頭を下げ、大きな声でみんなに謝った。スタッフは目を丸くしていた。やがて、全員にやにやしてスタジオの雰囲気がなごんだ。まだ少年のような顔を紅潮させていたK君が、台本をもってアナブースに入った。真剣な顔でマイクに向かって読み始めた。たくさんあったコメントもほとんどミスすることなく朗読を終えることになった。
収録が終わりに近づいた頃にやってきたK君のマネージャーにケツバットのことを正直に話した。すると、彼女は「ありがとうございます。あの子はまだ甘いところがあるので、それぐらいやっていただいてよかったと思います」と感謝された。意外な言葉にこちらが恐縮した。
その彼が、今では国民的ドラマの主要な配役にいるかと思うと、時代の流れを思ってしまう。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング