ふるさとのあの丘に
今朝の10時から、粟野の丘で母の納骨が行われて、母の好きだった賛美歌「山路越えて」を信者の皆さんで歌って送っていただいたそうだ。幼馴染がそう伝えてきてくれた。嬉しかった。
その友とは、幼稚園からの仲間だ。同じ教会に通って、淡い交わりで60年近く触れ合ってきた。母のこともよく覚えていてくれる。わざわざ、祝日のなか、母のために参列してくれたのだ。
ふるさととは場所であり訛りであり、人である。幼いときの時間を共有できる人がいるからふるさとなのだろう。もし、そういう人たちが絶えたら、私のなかのふるさとも消えるのかもしれない。
今、福島原発のことを思うと他人事でいられない。予想もしなかった事態で、ふるさとから追われて、異郷の地に避難している人たちの運命は、原電を身近にもっている人であれば他人事であるはずがない。
あの美しいふるさとがなくなる日が来たら・・・。
友の知らせでは、今日の敦賀地方は穏やかに晴れていたそうだ。墓地は丘の上にあるから、風が層々と吹きぬけていたかもしれない。そう思うと有難い気になる。
風薫る5月5日、母は教会の共同墓地に葬られた。父や他の信者さんたちとなかよく眠ることになった。
母の5月の短歌を手向けておく。
いつまでも元気でと言いくれし孫は帰りゆく5月の風のなか
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