きっぽ
新宿で、こうの史代さんと今度の大震災のことについて話し合った。
無残で荒廃した大瓦礫野に話が及んだ。あの瓦礫の原の隅々まで死者を調べ尽くすことは不可能で、いつかあの瓦礫の上に盛り土が載せられて姿を変えていくことになるのだろう。
自分はすべてを体験しているわけではないがと前置きしながら、こうのさんは、町が壊滅して再建していく東北の海沿いの町の姿は広島の町に似ているような気がすると語った。広島の町でも、私らが住んでいる町の下にはたくさんの遺体が眠っていてという言葉は長く言われてきた。比喩のように受け取ってきたが、今度の災害の爪あとを見ると、あの言葉はけっして比喩でなく実際のことだと痛感したと語る。広島のデルタの地下には今もあちこちに死者が眠っている。
こうのさんは、町はきっと甦ることができると確信する。広島でも長崎でも、そして神戸で出来たのだから、東北の町々にも新しい灯がともる日が来るはずと信じていた。その際に大切なことは、被災した人たちの誇りを取り戻すこと。その誇りというのは自分たちの地域が他とは違うかけがえのない「文化」を持っていること。
文化とは高邁で難しいことを指すのではないと、こうのさんは言う。
「日常の言葉のなかに見つけることができるのです」悪戯っぽい表情になった。
「例えば、広島弁に“きっぽ”という言葉があります。昔の傷が跡に残っているのを指します。子供の頃の傷が、大人になっても残っているような傷痕です。共通語だったら、あざとしか言いませんが、そういうのとは違うものです。その表現を中国地方では独自で可能にしています。これは誇りです。」
こういう誇りをたくさん被災した人たちから見つけたい、見つけてほしいと、こうのさんは熱く語った。
こういう例ならば、三陸の気仙沼周辺にはたくさんある。なにせ、ケセン語といわれるユニークな言語体系があるほどだ。医師の山浦さんという方が提唱してから有名になったが、元来気仙周辺で生活していた蝦夷の言葉の影響を受けて編まれた言語がある。独特の発音体系が標準語とは大きく異なっているのが特徴だ。その言葉を生み出してきた風土、気性を誇りに思うこと。
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