番組の変化
目黒のコーヒーショップで、隣に座った若い男たちの会話につい耳をそばだてた。
「今度のことで、やっぱりテレビは強いと感じたなあ。うちらのITは役に立たない情報の量ばかり多いしさ」
「NHKの報道の仕方は適切だよな、過剰じゃないもの」
どうやら権の助坂にあるIT関係の人たちらしい。近年、衰退したテレビと評判が悪かったから、こういう話を聞き込むと嬉しい。
たしかに、総理の記者会見などでの突っ込みの弱さとか、行政機関への配慮とかが目につく局面もないことはないが、福島原発事故の情報の発信の仕方など、テレビが果たしている役割に、見るべきものがある。
この10日間、事態は刻一刻と変化した。その間はほとんどテレビ報道で、新聞、週刊誌は役にたたない。週刊誌などは1週間遅れて、現地の記事を伝えているが、記者の主観の混じったものが多い(しかもほとんど行政批判に終始)と感じた。
テレビの一連の災害報道の下地に16年前の阪神淡路大震災の経験があることを感じる。特にくらしの情報、安否情報などで際立って発揮されている。寒さ対策、トイレの作り方、病者への対応、避難所での役割など、肌理の細かい情報。
阪神のときと今回のとの違いは、原発事故という広範囲報道だ。被災情報と並んで、原発事故報道は、かなり大きな関心を集めている。
番組編成からいわゆる芸能番組が消えた。むろん、この措置は
暫定的なもので、今週半ばあたりから復活してくるのだろうが、これまでのような垂れ流しのお笑いは徐々に減っていくのではないだろうか。言葉だけの遊び感覚のお笑い(自虐であったり、嘲笑したり)には少し違和感を感じ始めているのではないか。やさしい、癒されるような音楽を聞きたいと思うのは、私だけだろうか。
民放ではCMの自粛をしているようで、広告機構の倫理的なCMばかりとなっていて、これはこれでやり過ぎとは思うが、一般番組も少し傾向が変化するのではないだろうか。
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