群青色の空があるわけでなく空が群青色になっているだけ
絵の具の性質や使い方を覚えることは大事だと、高山辰雄が最後のエッセー画集で書いている。そのあとに続く言葉に惹かれた。
「だが、それを知ったなら、次はその絵の具の名前を忘れたいのです」
あの空は群青色だと決め付けるのは絵描きとして欠点だという。空は群青でなく、空は空。それをどう表現するかは、決め付けたなかからは生まれてこないというのだ。
たしかに、葉っぱは緑かもしれないが、よく見ると街角の樹木の葉は埃で薄汚れていて、絵の具の緑とはいえない。その木にしかない色があるだけ。そういう先入観でモノを見ないようにしたいと高山は語る。「目は透明でなければと思う」
詩人の吉野弘は、シンとした青空を見て「静」という言葉を思い浮かべた。青が争っているという。たくさんの青が空一面にひしめき争いあっていて、それが空の色を形成していると見たのだ。なるほど、そういう目で見ると、冬の青空などは、まさに小さな青がたくさん重なり合いひしめき合って、あのシンとした凛とした青空になっているような気がしてくる。
画家と詩人のそれぞれの認識。タメニナルナー。
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