そこにある危機
今から70年前、日本軍は北部仏印に進駐し、東南アジアの緊張はいっきに高まった。マレー半島、シンガポールに権益をもつ英国軍と衝突する虞れが起きたのだ。アメリカは日本の行動を非難する意味もこめて、くず鉄の日本への輸出を禁止する。日米の間でも大きな軋みが生じていた。その3年前から始まっていた日中戦争がいっこうに終熄する気配がないまま、日本はアジアのなかで行き場を見失い、瀬戸際のパフォーマンスと外交をアクロバティックに演じていた。
最近、日米開戦の資料を読むことが多い。1938年から1941年ごろの出来事だ。次第に危険な水域に近づいている北朝鮮の行動が、当時の日本の動きと重なって見えてしかたがない。英蘭米から見れば、日本の動きは不可解であったかもしれないが、日本国内にあってはそれなりの理由があって行動を起こしていた。明治維新以来海外雄飛を遂げてきたと思われる既得権益が損なわれるかもしれないという焦燥の炎が、国民の間で大きく燃え上がりつつあったのだ。仏印進駐から翌年の真珠湾まで軍部もおおいに揺れながら、少しずつ「危機」のほうへ歩を進めることになる、ということを、後世に生きる私たちは歴史によって知る。
折しも、ヨーロッパでは英国とドイツが戦火を交えて、第2次大戦が起きていた。やがて、ポーランド侵攻、独ソ戦と戦火は拡大していく大きな分岐点に人類はさしかかっていた。ユーラシア大陸の西と東で、それぞれ個別の緊張があったのだが、やがて、1941年の12月8日の真珠湾攻撃でその二つは一つに繋がることになる。そういう出来事を私たちは歴史として知っているとすれば、現在の危機に対しても歴史的理性をはたらかせねばならない。
現在、制作中の「ベトナム戦争」で、従軍記者だったドルーにインタビューしている。40年前の従軍体験を振り返りながら、彼はこういうようなことを語る。
「アメリカで今でもあの戦争を理解していない人がいるかぎり、僕の戦争は終わらない。ベトナム戦争を理解していたら、イラク戦争はなかったかもしれない」「ブッシュ大統領が戦争をはじめたとき、こんな馬鹿なことはないと思った。」この言葉を、今あらためて噛み締めている。
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