女たちのホモソーシャル
女同士で話していたほうが楽しいという女性が増えている。
女は小さい頃から、彼氏がいるのとか、結婚はいつかとか、男との付き合いを強制されてきている。異性愛への強制だ。
東園子はそれを「自分の価値が異性との関係(有無)によって評価される」と指摘する。そんなことにうんざりしている女たちは、つかの間であれそういうことから離れられるものとして、「やおい的BL」があるという。
ボーイズラブ(BL)、男同士の愛というものに惹かれる腐女子というものは、とりたてて変態でもなんでもなく、心惹かれる最高の愛のかたちとして、BL的関係があるそうだ。(東園子の論のわたし的な受け取り)
たしかに、異性愛への強制圧力は大きい。(異性に)もてる/もてないということがそんなに大切なことかといいたいぐらい、世に蔓延している。テレビがそのお先棒をかついでいるのは間違いない。紳助がキリコをいじめるときの常套でありトンネルズの石橋にしてもそうだ。女性ばかりでもない。もてないということを気にやんで、秋葉原で事件を起こした男子もいた。
こんなくだらない議論から、女性たちはとっとと遁走して、今ややおい的BLを介在とした女性の絆を作りつつあるということを、知った。「思想地図5」の東園子論文「妄想の共同体」に教えられたのだ。
毎週通っている武蔵野美大の女子学生たちが示すBL的関心に、最近私もはまっている。
男同士の絆を恋愛関係としてとらえるBLという解釈は、ほかのあらゆる関係にも適用できると東論文はいう。男性間の関係を妄想してとらえるのだ。それを、私は思わぬところで教えられた。BL大好きのRさんが、先日放送した「若き宗家と至高の三味線」を作者である私とは違う形で解釈してみせたのだ。
若き宗家と、至高の三味線奏者には親子の絆というより、愛があるというのだ。二人の愛する姿のドキュメントと見れば、さまざまな出来事の矛盾がよく理解できるという。例えば、周囲の反対を押し切ってでも共演をつよく望むこととか。そのほかいろいろあるが、ここではちょっと披瀝するのが気恥ずかしくなるので省くが、なにより最後の場面で二人が抱き合ったことは、それを裏付けていると、自信たっぷりにRさんは、私の番組を解釈してくれた。
この話を聞いて唖然とした。そんな馬鹿馬鹿しいことがあるわけはない。まさに、妄想による解釈であるのだが、馬鹿馬鹿しいなかにもなにかほっこりと顔がほころんでくるようなものが、その解釈にはある。これがポイントだ。テキストを自分なりに味わう喜びがあるのだ。
こういう解釈を媒介にして、女たちはいまコミュニケーションを行い、絆を形成している。女同士のホモソーシャルな関係というものか。
与太話。やおいの世界では、男性キャラクター二人をカップルにして、能動側を攻め、受動側を受けと役割をふる。これをカップリングという。今話題の日本人ノーベル賞の業績は、2つのものを結合させる化学反応(カップリング反応)だったはず。腐女子たちは、あの理論を見ても萌えるのだろうか(笑)。
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