視覚記憶
視覚記憶という言葉を、ルネサンスの本を読んで知った。
夢って視覚記憶なのだろうか。たしかに、夢は「見る」。夢を聞くとはいわない。だが、ときどき夢に音がある。大砲のズドーンという音を聞いた覚えが私にはある。一方、私は見たことがないが、色つきの夢を見ることもあるそうだ。
白昼夢というか思い出なんかは、視覚だろうか。
昨日、少年の頃に住んでいた場所に行ってきた。今となっては当時のものは何も残っていない。
というか、その場所は神社の境内になっていた。新興の神社だから朱塗りの派手な胡散臭い作りの建物の庭の一部になっていた。外側の溝だけが、昔の敷地の境界を表すのみ。あまりに様変わりした風景に言葉を失った。
現在の無機質なコンクリート塀を眺めながら、昔を思い出そうとしたが、いっこうに浮かび上がってこない。側道の草むらを、昔イナゴを捕獲した場所と思い込んで眺めたが、いっこうに視覚記憶は甦らなかった。
脳内で、ここをチマチョゴリを着たおばあさんが野せりを摘みにゆったり歩いていたという文章が浮かんだ。それは「映像」ではない。言葉、それも話し言葉であって書き言葉ではない。言葉としての記憶が甦った。
今朝、渋谷の109の前を歩いていたとき、鼻をつんと突き上げる臭いが一瞬した。ふと、高校生の頃の友達の家を思い出した。薄暗い階段を登った2階に友達は一人で暮らしていた。平凡パンチの最新号がいつもあった。親の目が届かない空間だったので、居心地がよかった。その家を思い出したのだが、別に今朝嗅いだ臭いとその家の臭いが同じというわけではなかった。ただ、同時代の何かの臭いだったことは事実だ。高校生の頃の意識に戻っていたから。シッカロールのようなきつい臭いだった。
こんなふうに嗅覚のほうが、記憶と結びつきやすい。嗅覚記憶とでもいうのだろうか。これを利用した「思い出匂い」のような薬ができると楽しいが。
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