神楽坂
神楽坂の坂上。炭火亭で、講談社のIさんと焼肉を食べながら、あれこれ歓談した。
Iさんは青年漫画誌の副編集長。私より10歳下の51歳。もっとも脂の乗った時期を迎えている。ちばてつやさんの深い信頼を得ている人だ。
フランスやイタリアでは20年も前から日本の漫画に親しみをもっていた。ドイツやイギリスなど北方ヨーロッパでは、長く日本漫画をイエローカルチャーと呼んで馬鹿にしていましたねと、Iさんは語る。その偏見が溶けたと思われる画期的な作品が、ポケモンだった。この漫画が世界へ浸透していったときの勢いはすごかったと回想する。それまで、本の見本市などでは講談社の漫画のブースに顔も見せなかった北欧のバイヤーが続々と訪れるようになったそうだ。
ヨーロッパにも昔から漫画にあたる言葉があって、子供向けの絵物語としてそういうジャンルはあることはあった。だが、誌面が上下に分割されて、上段は絵、下段は文章というスタイルはまったく動きのない、流れもない、死んだ(STILL)絵物語でしかなかった。日本の漫画のような流れやスピード感はまったくない。吹き出しもないし、動線もなかった。
イタリアでは、早くから日本の漫画が翻訳もないままオリジナルで売られていた。日本の漫画は言葉が分からなくても、表現が丁寧だから、理解しやすいとイタリアの子弟は歓迎していた。「キャンディ・キャンディ」などは自国の作品と考えられたほどだ。これは日本の漫画だというと、不思議そうな顔をした。登場人物の名前からして西欧風で、髪も金髪で瞳もブルーなのにどうして日本なのか、と。フランスでは、「キャップテン翼」が少年の心を掴んでいた。
日本漫画の大きな特徴は、線の表現だとIさんは語る。色彩や面で表すハイカルチャーの絵画と違って、日本画の伝統のような微妙な線が他の国の追随を許さない。
これまでで、その線表現で凄いと思った漫画家は誰ですかと聞いてみた。「江口寿史」と即答。「彼は大変なものでしたよ。一本の線で、女の子のうなじの肌の具合まですべて描ききるのですよ。」私には意外な名前だった。慌ててメモをした。
Iさんは競馬漫画に力を入れている。中身は人情物語なのだが、当初、スポーツ漫画の一種と見られて低調だったのだが、売り込み方を変えてから人気があがってきたそうだ。この物語の映像化を、現在Iさんは構想している。
10時過ぎ、まだ暑さがぬけない神楽坂を二人でぶらぶら下った。この町には若者といっても20代以上のヤングアダルトばかりで、渋谷のような喧騒でない風情が実にいい。坂道の早稲田通りは道幅が狭く、その上両側の街路樹が亭々と聳えており、風が通り抜けて気持ちがいい。週末ということもあったのだろうか、人通りは絶えない。坂下の東京メトロが走っている飯田橋まで降りた。そこから南北線で、Iさんは本駒込、私は目黒へ帰った。
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