同じ言葉の大きな違い
2007年の6月、久間防衛相(当時)が講演会で語った言葉が問題となった。アメリカが原爆を投下したのは戦争を終わらせるためであったからしようがない、と言ったのだ。
もう少し正確に記すと、
「原爆を落とされて長崎は無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったのだ、という頭の整理で今、しょうがないなと思っているところでして」と発言したのだ。
この発言が外に漏れ公開されて、被爆者団体から抗議され、朝日新聞は「被爆者の痛みを踏みにじり、日本の「核廃絶」の姿勢を揺るがすものだった」と痛烈に批判した。
だが、久間氏は防衛相を辞任したあとも、「原爆が日本を全面降伏に導いたのは事実」と主張を変えていない。
中国新聞のN記者は被爆していないが、母の妹が爆死するなど幾人も被爆した身内をもっている。毎年、祖母は8月6日に行われる平和式典にも正式に参加せず、式典の始る前に平和公園に行って一人でお参りすることが多かったと、祖母の姿を記憶している。式典で語られる「核兵器廃絶、被爆者を二度と出さないヒロシマの心」といった大文字の文言と、祖母が口にする「(娘が)原爆で死んだのも仕方がない」の小文字の呟きと大きな乖離があることをN記者はいつも感じていた。
お盆が来て、幼くして亡くなった叔母の法要が来ると、大人たちは、「あの子が死んだのはしかたがない。あれが落ちて戦争が終りになったんじゃ。平和な時代が来るための犠牲になったんじゃ」という愚痴を繰り返した。そうとでも思わなければ、わずか3歳で焼け殺された叔母の死の意味を見出すことが出来なかった。この言葉にはさらにいろいろな思いが複雑に絡まっていて、呟く本人ですら本質を説明できないと、N記者はみている。
この被爆者の言葉はむろん原爆を肯定しているわけではない。憎んであまりあるのだが、さりとて「原水爆反対、核兵器廃絶」とストレートな文言にまっすぐ向かっていかない。言葉にならないものが被爆者のなかに溜まっていて、それが口をついて出てくるときには「しかたがない」という言葉にしかならないのだ。
この被爆者の言葉と防衛相の言葉は似ているが、まったくかけ離れたものだ。被爆地長崎と同じ県に選挙区をもちながら、久間氏は原爆を人間の悲惨と見ないで、威力として認識している。まさに、被爆者の尊厳を犯す言葉にほかならなかった。さらに、原爆投下が日本の全面降伏を促したという「神話」は、アメリカの軍産複合体制の代弁でしかない。日本の敗戦は時間の問題であって原爆投下を必要としなかった。むしろ、戦後起こるであろうソ連との軍拡競争をにらんでの“戦略的投下”であったとみるべきであろう。そういう検討もまったくないまま、久間氏は俗耳に届きやすい論理を言いつくろっただけだ。
同じような表現であっても、まったく違う意味をもつことを確認しておきたい。
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