知って悲しい花いちもんめ
2月4日のブログに「悲哀の感情」という題で故郷の友人Oさんの消息が気になると書いた。
《数年に一度、眠りにつく前に過ぎ去った日々を思い出し、その頃に関わった人たちのことを思い出すことがある・・。
Oさんというその人は敦賀に戻ったということを、あるきっかけから知った。市営アパートに住み、お兄さんが経営する寿司店の手伝いをしていると聞いた。どうやら、私の亡くなった父と同じお茶会にいたこともあるようだ。Oさんの娘さんの就職の相談にものったこともある。再会して数年は、年に1回ほど会うことがあったものの冬のソナタで多忙になった頃から間遠になった。どうやら引っ越しをしたらしい。ぷっつり消息も途絶えた。・・・30代40代の頃だったら、またどこかで会えるさと思えるだろうが、60を過ぎるとそうはいかない。もう会えないのだろうという悲観のほうが大きい。大きな病を経験しているその人は、まだ生きているだろうかとすら考えるようになる。・・・》
これを書いたときは退院したばかりの私だったので、つい気の弱いことを書いてと後から反省もした文章だった。が、当時杞憂であってほしいと念じつつ、Oさんの死をちらりと予感したのも事実である。Oさんは再会する数年前に乳がんを患っていたのだ。
そして、今夕、Oさんが7年前に死去していたということを、故郷の知人から知らされた。享年51だったのだ。なんと早い死か。
しかし、7年も前に亡くなっていたという事実に胸を衝かれる。わたしたちが知り合いであったことを知る人はほとんどいなくなった。だから、その人が他界したときも私に知らせを届ける人も術もなかったのだ。
この知らせを聞いて私は、ただ瞑目するしかない。漱石の句を添えておく。
あるだけの 菊投げ入れよ 棺の中
合掌
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