辛らつな人
本日4月13日は斎藤緑雨の命日だ、ということを偶然知った。八木福次郎の「目出度き死去」という文章のなかに、斎藤緑雨が明治37年4月13日に死んだと書かれてあって、なんだ今日じゃないかと稍驚き、うれしくなってちょっと書いてみたくなった。
といっても、この人の作品をほとんど読んだことはない。樋口一葉の友人で、彼女を世に出すために努力した人としか知らない。自分も貧乏なくせして、一葉全集の校訂を引き受け、遺族の生活を請け負う一方、彼女の日記を手元にとどめ、死ぬ直前に友人の馬場孤蝶に託した。そういう情の篤い面があるのだが、一方辛らつな批評もたくさん書いたらしい。洒脱な気分もあったらしい。ゲーテ流行を揶揄したあの有名なバレ句は彼の作品だ。「ギョエテとは、おれのことかとゲーテ言ひ」。西洋コンプレックスの同時代人をカラカッテイル。
昨夜は正宗白鳥を寝しなに読んだ。荷風をこき下ろして論争になった件の文章を読んだ。白鳥の文章はきびきびしていて読みやすい。
白鳥は荷風に愛着を感じながら辛口で評しているのだが、荷風はその辛らつな愛情に耐えられない。せっかくの白鳥の「好意」に目をそむけて、抗議までしている。粋をモットーにした荷風の態度が野暮にみえ、無骨な手つきで荷風をいなし可愛がっている白鳥が粋にみえる。それにしても、この辛らつな白鳥大人がキリスト教に信仰をもち、ダンテを愛読していたと知るとあらたな興味も湧いてくる。
斎藤緑雨は1968年、慶応3年(すぐ明治元年)生まれだから、ほとんど私はその作品を読まなかったし、生き方も知らない。でも、なんとなく白鳥のような、辛らつにして情篤い人物ではないかと思われる。私の知る作家の範囲でいえば、大岡昇平のようなウルサイ人物だったのじゃないかと想像する。身近な存在でいえば、私の師匠ともいうべき評論家久保覚もそういう人だった。久保はブレヒトを敬愛し、その友ベンヤミンを愛読し、花田清輝を評価した。これらの人たちも緑雨と同系のタイプ。辛らつにしてやさしき人。
斎藤緑雨は西行同様自分の死を悟っていた。死去する2日前に友人の孤蝶を枕元に呼んで、次の句を口述筆記させた。「僕本月本日を以て目出度死去致候間此段広告仕候也四月十三日」その本日にぴたりと死んだ。彼は本所の自宅で大往生した。享年36。早い死と思われるが、当人は目出度きと記している。どこまでも天邪鬼。
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