失敗の研究
『闇の奥』(辻原登)を一晩で読了。それほど面白かった.
というわけではない。読み始めて前段3分の一までの物語の設定、情況が面白そうなので、つい半分まで読んだ。そこまで行ったら止めることも引き返すこともできず、とりあえずどういう結末で終わるのかだけ知りたい、見届けたいという念がつよくなり、最後まで読んだというわけである。ミステリーは最後の結末の小気味よさを味わうために、サスペンスという舟に乗って進む。その舟は、わたしらの仕事でいえば「展開力」と呼ばれるものだ。この『闇の奥』では、行方不明となった民族学者を探し、彼が追う小人伝説の実体を明らかにしていく、というのが一応展開力になっていえるのだが、これが後段になってくるとまったく効果をあげなくなってくる。単なる展開の指標でしかなく、読者を引きずりこむ力をもたない。
物語は、《太平洋戦争末期、北ボルネオで気鋭の民族学者・三上隆が忽然と姿を消した。彼はジャングルの奥地に隠れ住むという矮人(ネグリト)族を追っていたという。三上の生存を信じる者たちによって結成された捜索隊は調査をすすめるうち、和歌山からボルネオ、チベットへと運命の糸に導かれていく。》帯に書かれた惹き文句だ。
人跡未踏の熱帯のジャングルから政争渦巻く山岳地帯までを走り抜く。主人公たちの出身地和歌山がせり出す要素として配置された「毒入りカレー事件」。まさか、実際に起きた事件を背景にもってくるなんてと驚くが、それも尻切れとんぼになっていく。
そして、歴史の謎とされる食人風習をもっていたという小人族。面白い活劇要素がふんだんにもかかわらず、ストーリーは後段に入るとまったく面白くない。
なぜなのだろう。
先週末に見た映画「グッド・シェパード」もそうだった。実話をもとにした物語で、CIAを創設した男の数奇な人生を描いた作品。冒頭で、キューバ危機のときに侵攻作戦を失敗したアメリカの軍内部に裏切りがいるというフック。その首謀者を探す主人公の、前半生をカットバックして描く。彼は優秀な学業を見込まれてインテリジェンスの本場イギリスで学ぶことになる。そのシステムを米国に導入することになる。留学前後にからむ指導教授は表向き詩を研究する文学の専門家。一方、諜報員として顔をもつ教授だが、その性向がゲイという”異能”が後に命取りになっていく。美しい妻とは出来ちゃった婚で結ばれるが、心が通わず冷たい家庭。一人息子を愛していてもその感情をストレートに表せない。やがて、その息子も父の後を襲うようにして、インテリジェンスの世界に飛び込んで来る。しかし、謀略にはまり、息子は敵側の女スパイと恋に落ちる。その恋人は結婚寸前に敵によって葬られる。などと波乱につぐ波乱の物語のはずなのだが、映画は面白くない。出演者も豪華だ。マット・デイモン、アンジェリーナ・ジョリーの2大スタア。さらにロバート・デ・ニーロまで登場する。それもそのはず、監督はロバート・デ・ニーロ。普通なら、スコセッシなら、もっと面白い映画になるだろう。こんなにエピソードがあって豪華配役陣で、なぜ面白い作品にならないのだろう。
まず考えられるのは要素の過剰ということだ。話が多い、多すぎる。いきおい場面(シーン)数が増えていくばかりで、お話に深みがない。もっと、話の筋を太くするべきではないか。両者とも分量が多い。〔それぞれ3分の2にすれば、かなりすっきりするのではないか〕
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング