思い出すままに
小泉文夫が、世界の音楽を聴いて回ったがそのなかで清元は最高だと語ったことがある。そんな言葉はずっと忘れていたが、昨夜の酒席でふと思い出した。
今年、その清元をめぐるドキュメンタリーを制作する。願ってもない機会だ。心してその表現造形を観察し、演奏を聞かせていただくという至福を存分に味わおう。
先輩のYさんと病気の話で盛り上がった。中年を過ぎれば健康診断を定期的に受けることは大事だと二人は納得。健診の話題でひとしきり。
私はMRIのマシーンに入るのが苦手だと告白。あの閉鎖空間に押し込められて3分もたなかったと、恥をしのんで告白した。というのは、家族たちから私の振る舞いは臆病ではないかと揶揄されていて口惜しい思いをしているからで、恥の気分をぬぐうのはなかなか難しい。
それを聞いたYさんは即座にアドバイスを呉れた。
「ガガーリンを思えばいいのさ」
1961年に打ち上げられたソ連のボストーク1号に乗り組んだ宇宙飛行士、それがガガーリンだ。人類で最初に宇宙に飛び出た人だ。当時のロケットはまだ不完全で、回収すら運次第というおそろしく危険な乗り物だった。居住スペースなどという概念はなく、操縦席に固定されて身動きがとれない状態に置かれていた。
打ち上げられたのが61年の4月12日の6時7分で、着陸したのが7時55分。1時間8分は座席に釘付けになっていた。いや、出発前から固定されていたから2時間以上は動けなかったわけだ。ガガーリンはこの非人間的な装置に2時間耐えた。
それに比べれば、MRIの10分くらい、というのがYさんの忠告である。なるほど、これからMRI検査を受けるときは、このエピソードを思い出すことにしよう。
コンラッドの題を想起させる、辻原登の新著『闇の奥』。4月に出版されたばかりだ。手にとってぱらぱらとページを繰っているうちに引き込まれた。読みが止らない。文中に啄木の短歌が引用されており、しばし繰る手が止る。
誰が見てもわれをなつかしくなるごとき長き手紙を書きたき夕(ゆうべ)
『一握の砂』に収録されているそうだ。前に読んだときは気にならなかったのに、なぜ今心に留まるのだろうか。
京都の好きな路地に石塀小路がある。夜半、酔余でそのあたりを歩き回る。時雨と出会いながら歩けばさらに陶然とする。風雅を感じる。
これと同じ感覚をイタリア・ペルージャの路地で味わったことがある。初秋の中部イタリアは夜も深々としていた。山吹色の街灯が路地にぼんやり浮かんでいた。『須賀敦子が歩いた道』という写真エッセー集を見ていて、その路地の名前を知った。「極楽通り」―ヴィア・デル・パラディーソ。パラディーソ――パラダイスだから「天国」と訳したい気がするが、須賀は極楽と記している。イタリア語の達人が訳すのだから正しいのだろうが、この言葉は特別の響きをもっている。キリシタンの美しいオラショに私のなかでつながっていく。
♪パライゾの寺にぞ 参ろやなぁ パライゾの寺とは 申するやなぁ 広いな寺とは 申するやなぁ 広いな狭いは 我が胸に 在るぞやなぁ
この歌を、今村昌平の映画「復讐するは我にあり」のなかで三国連太郎が歌っていた。彼の役は五島出身の漁師で潜伏キリシタンの末裔だったのだ。
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