ロングテール、
最近、私が昔書いた記事にコメントをしていただくことが相次いだ。3年も前に書いた記事でも、キイワードで逢着される方がいるらしい。コメントをいただいた方としては嬉しいのだが、かつ戸惑いもする。その記事を書いていた気分は、今の私からは他者であるのでそこまで私の意識を醇化させるのに一瞬戸惑いが起こるのだ。でもけっして嫌なことではない。
今回も、向田邦子のエピソードのスピンアウトでスタイリストの原由美子のことを記したことへの反応だった。あらためて原への関心が呼び起こってくる。
今、原はどうしているのだろう。デフレ状態で、いいものを着るというより安いものを着るというダラシナイ世の中に変わりいくことを、原はどう見ているだろう。
私の青春の頃は、洋服は着こなすだった。一つ下の世代になると、着くずすというスタイルが出てきた。もちろん、ジーンズやTシャツにも愛着をもつ我々はけっしてラフな格好を無視していたわけではないが、やつれるようなスタイルにはいささか抵抗感があった。そんな頃から流行には無関心となり、自分の好きなものだけを探すようになった。元来トラッドな好みであったが、パリのSCAPAなんてブランドが好きになった。8年前に買った辛色のコートは今もお気に入りだ。
向田もお洒落だった。特に20代の頃は貧しいなかにも精一杯の工夫があって素敵だ。盟友の久世光彦もギョーカイ人らしいお洒落を続けた人だ。晩年の久世と何度か酒を飲むことがあったが、いつも不思議に思っていたことがある。あれだけ洒落っ気のある人なのに歯がないのだ。抜歯したあとに義歯をはめておらず、いつもふがふがした状態だった。これが不思議でならない。あれほど、コートやシャツに気を配っておきながら、どうして顔の中心にある口元が老人なのか。
その久世が向田のエッセーのオチを高く評価している。ラストの一行の見事な幕切れということを追悼文で記している。
このブログの記事は迷走だ。話も落ちない。まったくもって自堕落な夜迷いごとで終始してしまう文章だ。当初は、ネットのもつ永遠持続性ともいうべきロングテール現象を称揚しようと書き始めたが、久世さんの話で終わった。
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