さまざまなことを思い出す弥生かな
よく晴れた。気温がぐんぐん上がっている。木立が光っている。3月も10日を過ぎた。たしか、あの人が戻って来る。
大橋の病院で同室だった人だ。たった一日だけであったが心に残る人だった。Mさんといった。タイのチェンライに住んでいる。水頭症になって日本の病院にかかっていたが、ついでに胃がんを発見されて手術をしたと言っていた。その手術を無事終えて一旦帰国するその日に私は会った。穏やかなきさくな人で、病室であったせいか、重い病気の翳りなど少しも見せない態度、振る舞いに引かれ、この人と友だちになりたいなと思って、私から声をかけた。出会ったその日が、ちょうど帰国にあたっていたのだが、3月10日過ぎに再度入院することになるから、またそのときに会いましょうといって別れた。そのMさんが水頭症の治療で大橋の病院に再び入っているだろうということを思った。来週でもお見舞いに行くか。
こんなことはあるか不思議だが、たった一度しか会っていない人と友だちになりたいなんてことを思う。そのときはこちらが入院したてで気が昂ぶっていたのかもしれない。その人の病人としての振る舞いがあまりに自然で、そこに関心をもった。病気との向き合いかたがごく自然で、同室の誰彼となく挨拶をする人で、その温容な姿が心に焼き付いた。60歳まで日本で仕事をしていて、年金をもらえる年齢になってタイへ移住したそうだ。若い奥さんと幼い子供がいるので、まだ20年は生きていたいと淡々と語った。冬の日差しのなかで、身の上を語るMさんは気負わず、人生を実直に生きているという印象を残した。
大江さんがインタビューで語っていたことを思い出す。人生に苦難が無くなるなんてことはないと思うが、云々。後段は忘れたが、苦難なんてものはあるものだと語ったことが私を揺らす。あれほど強い大江さんですら苦難に心が悴みそうになることもあるのだ。
胃を切り取られたこと、そのこと自体は予想した以上に衝撃ではなかった。だが、昨年後半から鈍くつづく”重低音”はいっかなやまない。
金沢の降りしきる雪を思う。材木町の狭い路地に重く降り積む雪を思う。長靴をぎゅっぎゅっと踏みしめて歩く。路地にこぼれる細い家の灯り。かすかに口を開けた溝の水路。1968年の冬だ。
80年代の半ばだったろうか、釧路湿原を踏査したことがある。雪が残る湿原を歩いて、どれほど破壊が進んでいるかを、地元のボランティアから教えてもらった。ハンノキが腐っている様子に胸が痛んだ。丘に登って、シベリア颪を身いっぱいに受けた。「なにくそ、なにくそ」と風に反発がその頃はできた。
昨日、鶴ヶ岡八幡の大銀杏が倒れた。実朝ゆかりのあの大木。
「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ」と、太宰の一節が浮かぶ。
ゆらゆらと弥生が来た。
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