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定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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石垣綾子との出会い

大恐慌のアメリカに生きて

「オリーブの墓標」を読んで、ぼくはこの著者石垣綾子の生涯を知りたいと思った。高齢だがかくしゃくとしていると情報を得た。当時、教育テレビで「私の自叙伝」というインタビュー構成の番組が評判となっていたので、そこへ企画を出し彼女を推薦した。その提案はオーソライズされ、彼女の在米生活とりわけ大恐慌時代の思い出を中心に話を聴こうということになった。ぼくにとって初めての社会派の番組となる。それまで学校放送の音楽番組を制作していたのだ。ぼくは張り切って彼女の人生を追跡した。

 石垣綾子は明治36年(1903)に学者の娘として生まれた。自我に目覚める頃に大正デモクラシーと遭遇し自由の大切さを知る。断髪、洋服姿で歩くと、「オバケ屋敷のオバケ娘」と近所でも評判になった。モガ、モダンガールである。
ところが、関東大震災が起きたあとから世相はすっかり変わる。自由がなくなって息苦しい時代となっていった。そこから脱出したいと綾子は渡米を決意するのだ。結婚してアメリカに行く姉夫婦についてワシントンへ行くが、ひとり離れてニューヨークへ出る。徒手空拳で住み込みで働きながらコロンビア大学へ通うのである。その頃画家として留学していた石垣栄太郎と出会う。栄太郎はグリニッジビレッジに住んでいた。芸術家の溜まり場だった。セオドール・ドライサーやユージン・オニールなどがいて、綾子は自由のアメリカを謳歌することになる。
 その年、1927年に有名な「サッコとバンゼッティ事件」が起こる。ロストジェネレーションの作家たちは街頭に出て抗議活動を行う。この人たちを中心に「ジョン・リード・クラブ」が結成される。石垣栄太郎もその有力メンバーであり、綾子も影響を受けていく。生活はどん底だったが、精神的には充実することとなった。
 1929年、栄太郎と結婚した。その年に大恐慌が勃発する。二十世紀の歴史に残る大事件だ。たちまち街角にブレッドライン(パンの配給に並ぶ列)が出来た。現在の派遣村のようなものだろう。急激にして苛烈な貧困が人々を襲う。
 昨日までエリートだったと思われる立派な身なりの紳士が街頭で林檎を売っていた。木枯らしのビル街でその紳士の握る林檎の赤さが、綾子の目に焼きつく。
《屋台にずっと林檎を並べて、紳士は一個5セントの張り紙をつけて売っていた。その林檎を売りたい一心でハンカチでもって一生懸命磨くのです。並べた林檎がつやつやになっていました。通り過ぎる人たちは食べ物がない職がないと青ざめた顔をしていました。そんななかで林檎の赤いつやだけが町のなかでぱーっと明るさを放っていました。》
 石垣の夫婦のくらしも悲惨だった。毎日コンビーフの缶詰と塩だけのお湯で飢えを凌いだ。栄太郎の絵は売れず、綾子はコーヒーショップの店員や東洋人モデルで家計を助けた。
この「私の自叙伝」のインタビューをした1979年、ちょうど石油ショックが起きていた。戦後の高度成長の歪が現れていたのだ。綾子は大恐慌はこんなものではなかったとショックの違いを語った。たしかにその後石油ショックから日本は立ち直るのだが、そのあとに続くバブルが日本人に自分を見失わせることになるとは綾子も予想はしていない。日本の先行きに対してぼくはもっと楽観的にしか見ておらず、冷戦も永遠に続くとしか認識していなかった。

 この大恐慌の時代に、石垣夫妻はジャック白井に会う。
《ジャック白井といいましてこれは北海道生まれの船員上がりでしたけれども、その人が近くのシマレストランでコックをしていまして、彼が店からコーヒーの缶とかかにの缶詰とかをポケットに詰め込んでもってきてくれた。貧しい私たちにとっては助かった。このジャック白井というのは、後にねスペイン戦争のときに義勇兵として、あのスペインの人民戦線側へ行って、とうとう戦死してしまいました。》
 不況は続いたが、1933年にルーズベルトが大統領になって、ニューディールが始まっていく。これで生活が改善していったことがよほど嬉しかったらしく、綾子は大のルーズベルトびいきになる。彼女は「ローズベルト」と発音した。この頃から綾子はライターとして言論活動を始めるのである。
海を越えた日本では風雲急を告げていた。満州事変が起きて日中戦争に突入していく。この戦争に反対するため、綾子は街頭に出て戦争反対の声をあげるのだった。
《祖国に弓をひくものですから、ずいぶん悪口も言われました。でも私は日本を愛していましたからやっぱり本当の日本が蘇ってほしいという気持ちから反戦活動をしたわけでございます。》
日米戦が始まる前のことだ。アメリカが鉄くずを日本に売ることを阻止するため、ニューヨークの波止場で開かれた集会に綾子は出席する。そして、おおぜいの群集の前で綾子は壇上に上がって日本への鉄輸出禁止の演説をぶつ。日本大使館の関係者からかなり脅されたが、私は信念をもって行動したと、76歳の綾子が当時を思い出してスタジオで力づよく語った。3時間を越える収録にも疲れを見せず、石垣綾子は精力的に歴史の証言をした。
 その石垣綾子の番組の情報を掲げておく。
1979年9月13日、夜7時半から30分、教育テレビ
私の自叙伝「石垣綾子・大恐慌のアメリカに生きて」

それにしても、スペインの義勇兵として戦場に散ったと綾子が証言する、ジャック白井という存在が私には気になった。

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by yamato-y | 2009-10-25 21:14 | 人生にジャストミート | Comments(0)
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