生と死の欲動
人間を行動に掻き立てる精神の働き、無意識の衝動をフロイトは欲動と呼んだ。生に向かうものと死に向かうものがある。太宰治は死の欲動に憑かれた人であった。2回の自殺未遂を犯し挙句心中を敢行する人生。たえず、心のどこかに死にたいという願望が渦巻いていた。それは否定さるべきものと太宰は倫理としては分かっていたが、欲動はじりじりと彼を死の側に追い込んでいく。
昭和16年、戦争が始まる直前に、太宰は太田静子と出会う。太宰の鎌倉情死事件を題材にした『虚構の彷徨』という作品は静子の心を捉え、静子は太宰にファンレターを書いたことから二人は出会うのである。死の欲動を主題とする『虚構の彷徨』に惹かれた静子も、当時死の淵にあった。愛のない結婚から生まれた子供を失い、離婚をして自分を責めていた。そんなときに、心中で生き延びた男の呵責を描いた『虚構の彷徨』は、静子の心境とぴたりと重なったのである。
とはいえ、太田静子は元来は生の欲動の側にある人である。正直で文学の好きな女はコケティッシュでもある。妻子のある太宰に恋をし、まっすぐぶつかっていく。一途なエロス(生の欲動)は太宰を苦笑させ面白がらせ、やがてその恋の演劇に太宰も積極的に加担し没入していく。その極致が、静子の書いた手紙「赤ちゃんがほしい」である。赤子の誕生こそ生の欲動の果実にほかならない。
この二人の戦時下の緊迫したなかで交わされた対話を、二人の子である太田治子が読み解く。それが、現在制作中のETV特集「斜陽への旅」である。昨夜、2回めの編集試写が行われた。番組の尺は90分だが、昨夜のバージョンは3分オーバーの93分あった。前回は110分だったから、だんだん番組の輪郭が露になっている。太宰生誕100年を記念して企画されたものだが、そういうちなみものだけではない作品になりつつあると、プロデューサーとしてひそかに考えている。だが、佳作となるまでまだまだ道は遠い。編集アップまでまだ1週間ある。気を緩めてはいけない。最後まで、太宰と静子の真意は何であったかを追求しつづけ、二人の恋の真相を浮き彫りにするなかで、番組は成長するはずだから。
この二人の恋を背景にして生まれた小説が『斜陽』である。没落した貴族の母と娘の話であるが、未婚の母となった娘は最後につよく生きていこうと決意するところで幕を閉じる。これは、太宰のなかでも「明るいほうへ」向かった数少ない作品のひとつとなる。
明るいほうへ――生の欲動の勝利になる。
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