雨音を聞きながら
サーという音を夢うつつで聞いていた。ぼんやりした眼で窓を見ると、雨。ああ、雨が降っていたのだ。夢のなかでも雨だったよな。
谷間の夢をみた。40年前の出来事とつながる夢だ。そこに住んだことも行ったこともないが、縁のある人の実家がそこにあった。今は誰も住んでいないようだ。その空き家の前を通り過ぎた。
しばらく行って、共通の友人に会った。あの家はどうなったのかと尋ねると、その人も思い出したらしく、お母さんが一人でいたはずと答える。訪ねてみようか、どうしようかとためらううちに目が覚めた。
窓を開けると、冷気がすべりこんでくる。昨日の暑さとはうって変わった肌寒さ。雨は一本の音となって切れ目がない。
こういう夢をみたときは苦手だ。また、過ぎし日のことが芋づる式につながって出てくるから。その幻想が帯びた気分がずっと、私の身内に止まるから。そういうときは人と話したくない。自分の殻に閉じこもっていたい。
それにしてもなぜ谷間なのだろう。ひとは谷間で生まれて、またそこへ帰っていく。そういう谷間。イギリスの詩人、ランディ・トーマスの言葉にそういうことを記していたはず。大江さんから教えていただいた。
一昨日、夜の10時に電話があった。金沢の友人たちだ。数人集まってわいわい盛り上がって、私のところへ電話をしてきたのだ。1学年下のメンバーは今年60歳になり定年をむかえた。そのメンバーたちが中心になって8月4日に同窓会をやろうという呼びかけだった。行きたい。40年前の友たちに会いたい。友だちではない、友たちだ。
あの頃、なぜあれほど憎み合ったのだろう。互いに、世の中をよくしたいと考えていたのに、路線が違うからといって対立した。喧嘩をしたまま卒業し、会う機会もないままの友たち。
藤沢周平の本のタイトルにも取られている古川柳「故郷へ廻る六部は気の弱り」。全国を行脚してきた山伏も、年をとってくるとだんだん故郷の周辺ばかりになってくる、という意味だが。
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