雨の日に
久しぶりの休み。外は冷たい雨が降っている。昨夜は、タケ先生のところで鍼をうってもらった帰りに、久しぶりにゴールデン街のとんぼに寄った。ちか、という北海道の珍しい魚を食した。ワカサギのような姿のいい魚でなかなか美味だった。
帰途、紀伊国屋に立ち寄る。内田樹の新作『街場の教育論』を手にとる。そこで興味深い一節に出会う。「学校というのは、そもそも親から子供を守るために生まれたようなものだ」。
資本主義が勃興してきた時代、子供は小さな労働力だった。過酷な児童労働があちこちで行われた。ディケンズの世界だ。そういう劣悪な環境から子供を守るために学校という制度が生まれたという点を内田師は注目している。
このところ頻発している児童虐待の話を見聞するにつけ、親は子供を「食い殺す」面ももっていることを痛感し、先の内田の言葉に納得する。
ところで、内田といえば去年亡くなった内田勝少年マガジン元編集長の一周忌がまもなく行われる。先日、奥様から法要へのお招きをいただいた。
内田さんの一周忌の時期に、内田さんたち少年週刊誌の編集者をモデルにした人物が活躍する作品「ザ・ライバル」が放送されることになる不思議を思う。
大伴昌司の盟友であった内田さんは名編集者として数々のエピソードを残している。その伝記「奇の発想」に、梶原一騎を口説いたきの苦心譚が出て来る。
小説家志望だった梶原は、内田から漫画原作の依頼を受けた時いい顔をしなかった。漫画の原作を考えるのは、男子一生の仕事にあらずと考えていたようだ。なかなか首を縦に振らなかった。そこで、発した内田のセリフ。「漫画を通して、新しい国民文学を作ってください。”ああ玉杯に花受けて”のような作品を書いてください。梶原さんに現代の佐藤紅緑になってほしいのです」現代の佐藤紅緑という言葉に、梶原はつよく反応したということを内田さんは記している。
「ああ玉杯に花受けて」は、戦前の名雑誌『少年倶楽部』に連載された。編集長は内田さんが尊敬した加藤謙一である。彼が、はじめて佐藤紅緑のもとを訪れて少年小説を書いてほしいと頼んだときだ。癇癪もちの佐藤紅緑はこういった。「君はハナタレ小僧の読むものを、俺に書けというのか」
すかさず加藤編集長はこう答えた。「恋愛小説を書く作家は掃いて捨てるほどいます。しかし日本の将来を担うハナタレ小僧のために筆をとる作家はいません。ハナタレ小僧に勇気を与える作者は、紅緑先生をおいてほかにありません・・・・・」そして、コーロクは忽ち説得され。書く気になった。これは、佐藤紅緑の娘である愛子の『血脈』に書かれてあるエピソードだ。
奇しくも、梶原一騎と佐藤紅緑は少年誌に対して同じような見解をもっていたが、編集者の熱い心に揺り動かされることになるのだ。
来る5月5日の「ザ・ライバル」では、このあたりの逸話をドラマ化している。こういう事実を元にしてフィクションとして、視聴者に味わってもらいたいと工夫を凝らした。
週が明けたら、大伴のご母堂にお会いして、内田さんの一周忌について相談することになっている。
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