イタリアの旅8
冬の星座
明け方、目が覚めた。時差ぼけということではなく、ホテルの部屋があまりに暑いので目が覚めたのだ。空調も寝る前にきっちり切っておいたはずなのにこれほど暑いというのは、最上階の部屋という構造の問題だろうか。朝になったらフロントに抗議をしようと思いながら、部屋の窓を大開にした。夜の冷気がさーっと入り込み、気持ちがいい。
しばらく窓の外を眺めていたら、夜空に無数の星がまたたいていることに気づいた。ホテルの常夜灯のせいで最初は空に星など見えなかったのだが、目を凝らしていると小さな星くずが満天に散らばっているではないか。ちょっと感動した。
こんな人口の多い都会の街中で、星座が見えるとは思いもよらなかった。ベネツィアの周りに大きな工場がないこと、海風が吹くことなどが、夜空を清掃しているのかもしれない。なにより、この町には自動車が走っていないということが大きいのだろう。
星座に強くないから、特定はできないのだが、窓の正面、北の地平線すれすれにあかく光る星があった。一目では気がつかなかったが、じーっと見ているとまたたく。一瞬、大きな光となる。何億光年も離れた星から届く光の信号が意義深く思えた。
旅愁の感傷はあるとして、旅の終わりに星座を見つめていると、さまざまなことが去来する。マルコ・ポーロの旅ほどの大きな距離をもつ遥か東の国から私はやって来て、500年も昔のユマニストたちが歩いた町を歩き、彼らの考えを追想する。げに楽しからずや。
このユマニストのいきいきした生き方を、私自身の後半生に取り込んでみたいものだ。
とはいえ、そうはいかないのが人生の面白さ、複雑さと、夜風にひとりごちる。
ユマニストが生きた時代は「転形期」。大きな時代の流れが変化する時代であった。今、私の立つ時代はどうであろう。花田清輝の考えによれば、私たちはいつも転形期を生きているという意識にあらねばならないと指摘していた。と記憶する。そう思えば、私にも私なりの与えられた使命のようなものが、まだあるに違いない。
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