漫画史の面白さ
子どもの日の特番を制作している。少年週刊誌の曙をテーマにしている。このところ流行っているドキュメンタリードラマの手法を用いて、そのテーマに挑戦しようと考えている。
ということで、1959年(昭和34)から10年ほどの漫画文化の歴史を追っているのだ。つまり、少年サンデーと少年マガジンの熱い挑戦が主題である。
ここ3年ほど、サブカルチャーの話題をいくつも番組にしてきた。「あしたのジョーの、あの時代」「21世紀を夢見た日々~日本SF50年」「ちばてつや 再びのマンガ魂 ありがとうトキワ荘の仲間たち」「新しい文化フィギュア」と並ぶ。これらの元になったのは、20年前に制作した「少年誌ブームを作った男・大伴昌司」である。あの当時は、私にとってちょっと変わった素材をドキュメンタリーにしたとしか認識していなかった。
ところが、この20年の間に、サブカルチャーと一段低く見られていた日本のキッズカルチャーは漫画やアニメを中心に世界から注目されるようになり、その研究も次第に深まった。
そして、今年はサンデー、マガジンが創刊されて50年という大きな節目をむかえ、私はその主題に真っ向から取り組むことにしたのだ。
関連の図書資料を読み込んでいる。と、面白いことに気づいた。少なくとも、週刊誌2誌の歴史ですら、きちんとした把握はされていないということだ。小学館、講談社の社史にはおおざっぱなことしか書かれていない。それぞれの社の元編集者の記した著書はあるが、あくまで自分の置かれた視点からの論評であって、相互の関係がはっきりしない。研究家の書も、ある時期を静的にとらえたものであって、通史としてダイナミックには把握されていない。だから、相互を重ねていくと、ずいぶん不自然な「事実」が浮かび上がってくる。
それを今検証しているのだ。当事者にインタビューして、事実関係の正否を確認しながら、漫画という文化がどう構築されていったかを確かめている。
この作業がめっぽう面白い。これまであまり注目されてこなかった編集者という存在が、漫画文化の結節点で重要な役割を果たしていることが、次第に明らかになっていく。
ある編集者が、少年週刊誌を成熟させたものとして3つの要素があると言った。一つは、漫画を支持してくれた少年読者、2つめは読者の心に直接ぶつかっていった漫画家、3つめは編集者。謙遜しながら語ってくれたが、私もまさに編集者の役割は大きかったと思う。
しかも、初期の頃の編集者たちは、あまり漫画が好きではなかった。漫画を編集しているということで、編集者のなかでも一段低く見られていた。そのことをバネにして、新しいメディアを作り上げていくのだ。小学館の少年サンデー、講談社の少年マガジン、この2誌は会社のカラーも雑誌のカラーもまったく違うタイプ。だからこそ、ニューメディアが組みあがったのではないだろうか。2項対立構造ではなく、弁証法的構造と言ったら言い過ぎであろうか。
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