一人酒
夜更けに祈っている。何かに対して助けてくださいと。それの結果が出れば、それは救われたということになる。救いは救ってくれる主体があって、救われる私という客体の主体がある。
昨夜、「鷲は舞い降りた」という往年の名画を見た。ドナルド・サザーランド主演の重厚な映画だ。オープニングを少し見て、一度この映画は見たことがあると思い出した。だが、初めて見るように映画の森に入っていくことができた。構成、演出が巧みなのだ。
この映画で不思議な台詞を聞いた。ドイツ国軍大佐が、チャーチル英国首相誘拐の計画を練るときに発する言葉だ。この突飛な計画をヒトラーから命令されたとき、それを後押しするような情報がこの大佐にもたらせるのだ。まるで偶然のように。
そこで、黒い眼帯を巻いたこの大佐は、部下にこういう言う。「君はユングを知っているか」
カール・グスタフ・ユング。ドイツの偉大な精神分析の権威。彼が偉大である、一つ理由にシンクロニシティを説いたことだと、大佐は言うのだ。
チャーチルを誘拐しようというときに、彼が警戒の薄い港町に休暇をとりに来るという情報が「偶然のように」もたらされる。この人生の偶然をシンクロニシティ(共時性)と呼ぶ。
戦争アクション映画で、こういう台詞を聞くとは思っていなかったので、そのあとの好奇心がさらに引き出されて、映画をとても楽しく見ることができた。
しかし、シンクロニシティの意義は深い。人生に偶然はない。すべて、必然である。とすれは、今起きているこの事実もまた、不可知な意味があるのだろう。
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