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定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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小森まなみさん

小森まなみさん、元気かい

久しぶりに、高石ともやの「街」をユーチュウブで聞いた。

♪この町が好きさ、君がいるから この町が好きさ君の微笑みあるから。

 この歌を知ったのは俺が28の頃、46年も前のことだ。下っ端のディレクターで、テレビはフロアディレクターで、レギュラー番組はラジオ第2の「昼休みのおくりもの」しかなかった。俺の大事な「城」だった。たった一人でDJ(ディスクジョッキー)と向き合って作っていた。これはお昼の1245分から13時までの放送で、学校放送の代理のような番組で、真面目で固いDJ番組だった。日替わりでクラシック、洋楽、邦楽とあった。担当して2年目に、DJを変えて新しいスタイルをやってみたらと言われた。それまで、NHK放送劇団のおばさんが、子供の声色で演じていたのがわざとらしくて、嫌だった。学校放送ということで妙に道徳的なことも改善したかった。俺はDJの候補者を探した。第2放送で15分の尺だから、ギャラは法外に安かった。有名なタレントや役者はほとんど断られた。

 テレビの音楽番組「ワンツーどん」というチームに俺はいたのだが、そこに日大の学生バイトの鈴木君がいた。オレと5つしか違わない。気があった。京都出身の彼はトラッドスタイルでよくファッションの話をしていた。その彼に、今DJを探しているんだと相談したところ、「ちょっと心当たりがあるので、来週まで待ってください」と答えてくれた。

 翌週、鈴木君は、日大芸術学部の同級生だという小森まなみを紹介してくれた。学生ながら、ラジオ関東でレギュラーを持っていて、若者に人気だという。驚いたが、ギャラが安いから無理じゃないと言うと、「マミはそんなことは気にしない、自分を表現できる場であれば率先して出て来ますよ」というじゃないか。半信半疑で逢った。ベビーボイスで甘ったるいしゃべりだが、内容が濃い。社会に対する見識も深かった。それまで台本は俺が書いていたが、彼女なら全部任せることができる。すぐに上司のプロデューサーに推薦・進言した。

 次のシーズンのクールから早速はじめた。サブタイトルは「マミのミルキータイム」とした。すぐにファンが増えた。使用する楽曲はすべてマミ自身が選んだ。当時人気のあった岩崎ひろみや太田裕美に混じってフォークソングを入れた。毎週、しっかり台本を作ってきてくれた。2年ほど続いた。編成変更があって、昼休みの贈り物の「枠」が無くなると、編成部から連絡があり、俺はマミに伝えた。残念そうに、(分かりました)と答えてくれた。俺もほんとはやめたくなかった。

 最終回の収録のとき、この楽曲を使いたいですと言って、出したレコードが、高石ともやの「街」だった。俺は初めて聞いた。京都の街を舞台にしたラブソングだった。詩も素敵だったが、メロディが伸びやかで素朴でよかった。

 その年の3月で番組は終了し、彼女は局に来ることもなくなり、その一年後、俺も長崎へ転勤した。疎遠になった。結婚して関西に住んでいると聞いたが、消息は知らない。どうしているかなあ。この歌はメジャーじゃなかったから、めったに聞くことがなかったが、この半年、ユーチューブでよく流れるようになった。マミのその後の人生をいつか聞かせてほしいと願っている。


# by yamato-y | 2022-06-28 19:59 | Comments(1)

早朝のラン

早朝のラン

昨年秋から、毎朝6時に出発して7時に戻るランニングを始めている。きっかけは完全定年(嘱託、委託業務などもすべて終了)になって生活が不規則になったことだ。勤めに行かないから起床就寝を気にしなくなり、つい夜更かしするようになった。ネットフリックスを入れたばかりでだらだら映画、ドラマを見る羽目になった。ウィスキーをチビチビ嘗めながら深夜2時まで起きていることになると、起床は11時過ぎ。遅いブランチを食べると、散歩に出るのが午後2時。往復12000歩ほどの4つのコースを順繰りに歩いていた。

 そんなある日、散歩から戻って7時ごろ夕食をとって、サスペンスのテレビ映画を見始めた。終わると11時過ぎだった。腹が空いたので家人(寝入っていた)を起こして、「晩飯はまだか?」と告げたところ、大騒ぎとなった。夕方食事をとったことを忘れたのか、いよいよ痴呆が始まったと家人はわめく。面倒くさくなって一喝、「ウルサーい。病院に行って調べてくるよ。話はその後だ」と啖呵をきった。とは言うものの心細い。これが、「ちほうへの道」かとへこんだ。

 長年診てもらっている長尾先生の紹介で、東邦大学病院の物忘れ外科の診断を受けた。

結果は白。スキャンも知能検査も異常なし、ほっとした。ただしと賢そうな女医は言葉を継いだ。「生活が乱れて夜更かしがひどい。午前中がまったく活用されていない。これを続けると早晩認知に障害が出るのは明らかだ。規則正しく寝起きして、朝食の前に30分以上運動をするように律っしてください」と言い渡され一枚のシートをもらった。マス目の欄が7段あって週間の記録をつけるようになっている。午前午後の予定を事前に書き、当日の動きを記す。最後に、その日の意欲度をつける。これらの欄に記述して、1年後にそれをもって再度診察を受けるように言われた。

 願わくばピンピンコロリ。惚けたくないその一心。すぐ実行した。

 最初の1ヶ月は徒歩で毎日13000歩、90分だった。早朝に90分は時間を取られすぎだ。この半分にしようと走ることにした。406950歩数。これが現在のメニューとなっている。9月から始め、実行しなかったのは、旅に出た日を入れて7日だけ。三日坊主が長持ちしている。理由は快眠、快食、快便だからだ。すこぶる健康。


# by yamato-y | 2022-05-08 09:03 | Comments(0)

パソコンを整理

一昨年の冬の書付から「草隠れの地蔵」


パソコンのデータを整理していたら、一昨年の12月に書き付けた文章が出てきた。野辺の地蔵のことを書いたのだが、後半の文学談義は削って、この場にさらしてみよう。最近、とんとこの場に来ることが減っていたからやや罪滅ぼしのつもりもあります。

 

新型コロナによる三密回避のため、目黒から渋谷まで電車を避け徒歩で通勤している。徒士(かち)組と自慢している。山手線に沿って8キロほど歩くのだが、途中、代官山の麓の線路端に間口10㍍奥行き3㍍ほどの草叢があって、真ん中に石の地蔵菩薩像が立っている。

丈が低いから、夏の間は周囲の草が生い茂って姿が見えなかった。秋になって顔を出した。草隠れの地蔵だ。誰かが世話をしているようにもみえない。ときどきジュースが七分目ほど入ったガラス瓶が供えられている。今日は加えて蜜柑が一個転がっていた。灰色の歳晩の景のなかで、蜜柑のダイダイ色が目に染みた。賽銭のつもりか、菩薩像の周りには百枚ほどの1円玉が散らばっている。くすねるふとどきな輩もいないようで枚数が減った様子もない。

地蔵は一枚石に浮彫りとなって、その周りに命日と戒名が刻まれている。左側に「享保九年辰六月十一日」右に「智秀童女」とある。どうやら墓仕舞いのときに放置された墓石の一部らしい。このあたりには大名や旗本の抱屋敷が多かったと聞くから、武家の娘であろうか。童女とあるから幼くして亡くなったか、もしくは水子を弔ったものではないかと思われるが、偲ぶよすがも手がかりもない。この半年間通るたびにこの地蔵立像が気になってしかたなかった。恵比寿-渋谷の往来の激しい区間、しょっちゅう電車が通過する。山手線や埼京線の長い車両が轟轟と走りぬける。片隅にひっそりと立つお地蔵さん。

 夜になって木枯らしが吹いた。部屋の暖房(ヒーター)をつけた。草隠れ地蔵が生まれた享保の時代のことをぼんやり考えていた。八代将軍吉宗が統治していた時代で、町民文化が勃興したり洋学が始まったりする一方、ひどい飢饉もあった波乱の時代だ。もっと詳しく知りたいと、高輪図書館から、文芸文庫の「近松門左衛門」を借りだした。近松の没年が、奇しくも地蔵と同じ享保9年であることを後ろの解説で知って、興味を覚えた。

文芸文庫の近松は2巻もので、ひとつは「曽根崎心中」、もう一つは「心中天の網島」が収載されている。「曽根崎心中」は2011年に杉本文楽のドキュメントを制作したとき熟読したから読み飛ばして、「天の網島」を集中的に読んだ。享保5年に実際に起きた情死事件を題材にして書かれた物語だ。(菩提寺大長寺伝)。

紙屋治兵衛と妻おさん。そして愛人の遊女小春の“三角関係”が物語の軸。治兵衛の心は小春に傾いているから精確には不等辺三角形の関係だ。姦通、不義密通と当時は犯罪扱いされたが、今なら不倫という恋愛として考えてもいいだろう。二人の子供を持ちながら、治兵衛は新地の遊女小春に惹かれて通って3年になる。まわりは道ならぬ道を心配して引き裂こうとするが、かえって二人の仲は深まるばかり。もし離れ離れになるようなことがあったら心中しようと二人は誓いあっている。一方、妻のおさんの方は何も気にしていないとばかりに明るく健気に振る舞っている。

 あるとき、小春が客に心中を約束しているが本当は死にたくないとこぼしているのを、治兵衛が盗み聞く。怒った治兵衛は戸の外から刃を小春に向けて刺そうとする。刃は届かず殺害に失敗して、居合わせた客に捕縛されてしまった治兵衛。客は実は治兵衛の兄で、家業も放り出して遊女にうつつを抜かす弟の治兵衛をなんとか改心させたいと廓にやってきた時にこの事件が起きたのだ。 小春の死にたくないという言葉に落胆した治兵衛は小春と別れることを決意し、二人で立てた誓いの証文を取り戻す。その中に、小春にあてた妻おさんからの手紙があった・・・。

おさんと小春の二人には「おんなの義理」という絆があるらしい。今のモラルでは分かりにくいが、妻妾は互いの立場を思いやっている。それぞれの苦しい事情と一途な情が物語の展開とともに浮かび上がってくる。「曽根崎心中」のような一本調子の道行きとは違い、二重三重に義理と人情がからまる曲折の物語だ。それだけに男女の一途さが際立つ。といっても治兵衛は妻子を打ち捨て小春と心中を図るという自分勝手はどうしても気にはなるのではあるが。

こうして一旦は別れた治兵衛と小春。意外な出来事が重なって二人の縒り(より)は戻り、再び心中へ向う地獄の歯車が動き出す。実際の事件を題材にとったとはいえ、めくるめくようなジェットコースター的展開。近松門左衛門のイマジネーションと表現には舌を巻く。

 最後の段、「網島、大長寺」。心中の段取り手際は、「曽根崎心中」と似ていて、最初に男が女を刃で殺め、遅れて男が自裁する。ここでは治兵衛は首をくくってぶら下がるのだが、その光景がまるで風に揺れるひょうたんのようだと近松門左衛門は記している。《南無阿弥陀仏と踏みはずし。しばし苦しむ生(な)り瓢(ひさご)。風に揺らるる如くにて。次第に絶ゆる呼吸の道。息堰きとむる樋の口に。この世の縁は切れはてたり。》この世の縁は切れはてたりーーこうしてすべての柵(しがらみ)を断ち切り、小春・治兵衛の2つの魂は結び合って暗黒宇宙を久遠に飛び続けるーーふいと、代官山の草陰地蔵を思い出した。


# by yamato-y | 2022-02-18 11:31 | Comments(0)

1ヒビ2タカ3サイフ

1ヒビ2タカ3サイフ

 半隠棲のくらしを送っていると、日々の変化などほとんどない。朝夕歩いて、昼間はパソコンか読書。朝のウォーキングで見かける軒先の花や草の咲いた枯れたが目に見える変化でしかない。

今朝はハナズオウの枯れ葉が見事に黒焦げになっているのに驚いた。枯れるとは焼かれるではないかと言いたいほどハナズオウの葉っぱが黒く縮こまっていた。今朝は寝坊して目覚めると720分。朝のウォーキングに出ると戻ってくる時刻は815分を過ぎるだろう。朝のテレビ小説を見逃すことになる。朝ウォーキングを始めて3か月半、一度も欠かしたことがなかったが、本日は中止してドラマ視聴にした。

 変化なしの暮らしでも見つけた出来事。まずヒビ。寒くなりはじめた先週から足のあかぎれがきつい。ひび割れして赤身が見えている。痛い。靴を履くときが一番痛い。かえって、生きているのだという実感を持つこともある。2つめは、野生のタカを目撃したこと。池田山公園の入り口で大きな羽ばたきに目を凝らすと翼を広げて低空を飛ぶタカを見た。そのまま私の右側の常緑樹の梢に留まった。1分ほど野生のタカを間近で見た。何かすごく得をした気分になった。

3つめは大崎警察からの電話で今年3月に紛失したサイフが届いているという知らせだ。すっかり忘れていた。奇特な方が今朝届けてくれたそうだ。所持金950円とスイカ。山を下って大崎署まで出かけた。落とし物係の女性に礼を言って大崎広小路に出た。交差点の一角に「王将」があった。小腹も空いたので、返還された950円でギョーザとチャーハンを食べた。風は冷たいが日差しがあった。青空も少し見えた。

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# by yamato-y | 2021-11-29 20:55 | Comments(0)

Aさんの記念に

前回のAさんに宛てて書いた手紙の文章を記念にここに残しておこうと思った。
★            ★

 Aさん

  秋冷の候、お元気ですか。

当方も健康だけは保っております。外郭の会社の軒先を借りてほそぼそと企画を出してやってきたPD暮らしもいよいよ雇い止めになりまして、この春から完全退職者としてほぼ毎日自宅の自室にいるような暮らしをやっております。お伝えしたかもしれませんが、数年前から大磯と目黒の二重暮らしを止めて、目黒一本にしました。ここを起点にして毎日歩いております。「御徒組」です。渋谷まで6200歩、池尻大橋まで7000歩、五反田、品川まで4000歩、三田まで6000歩、時には大手町7200歩、神保町8500歩をノルマにして右往左往しております。

 コロナが始まりまして、めっきり人付き合いが減りました。Yさんも奥様を亡くして一人暮らしが不便となり川崎のマンションに移転され、会う機会が無くなりました。時折電話で消息を伺うような次第です。ということで再開されて動き出した美術館や歌舞伎座の催事も一人で行っております。昨日も日比谷の図書文化館で開かれている「江戸から東京へ・千代田の風景」展を見てきました。客は高齢者ばかりで静かで居心地は悪くありませんでした。この秋の最大の好事は東京美術倶楽部が催した「美のまなざし」展でした。さすが画商たちの展覧会ですから、実物のすぐ傍で鑑賞できまして、前から好きだった浦上玉堂の山水をじっくり見ることが出来ました。他に良寛や光琳の書や短冊があって贅沢なものでした。

 山茶花が咲く時期になりました。冬に向います。コロナもまだ油断は出来ない様子です。くれぐれもご自愛ください。

★            ★

結局、この手紙はAさんに届かず、奥様から返事が来た。奥様はこの手紙をお位牌の前で大きな声で読んでくださったそうです。有難かった。それにしてもこの暮れは訃音が多い。少し淋しい秋です。

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# by yamato-y | 2021-11-27 12:19 | Comments(0)


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