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変則女子会に参加して
連休が明けてから、事態が胎動していろいろな展開が起きてきた。毎夜、人と会う日が続いている。現役の最終盤にこれほど多忙が待っているとは思いもよらなかった。だがけっして嫌がっているのではない。仕事ができること、番組を作ること、人と出会えること、が嬉しい。 夏の戦争関連番組に関する企画が動いている。先日、見物した渋谷毅さんのコンサートで出会ったかたから教えていただいた主題だ。クラシック音楽の世界の戦時下の葛藤を描いてみようかと、構想している。そのためには主題を表す素材、人材をリサーチする必要がある。それにかける時間は僅かで、これから1週間が勝負となろう。 そんななか、昨夜は面白い体験をした。「冬ソナの会」の人たちと新宿でオフ会をもったのだ。 4年ほど前に、カルチャーセンターで1シーズン冬ソナの魅力について講義をしたことがある。生徒さんは中高年のおばさまたちが大半で、男性はただ一人だったが、みな熱心だった。全員もちろんソナチアンだったから、私以上にドラマに精通していて、私のテキスト解釈など本当のところたいしたものでなかった(はずだ)。それでも半年通ってきていただいた。その半年講義を終えたあと、有志の方から食事のお招きをいただき、細々と交流が続いた。年に1回か2回ほど赤坂のレストランで歓談するという場だ。 今年も、「3丁目の夕日」の編集作業たけなわのときに会の連絡をいただいた。仕事で頭がいっぱいだったので、「冬ソナの会」の世話役の方の名前を聞いたとき、どこのどなたかぴんと来ず、冷たい口調になった。だがよくよく事情を聞いてみると、あの女子会からのお招きのお誘いではないか。不明を私は恥じて幾度も謝った。今回はお詫びも兼ねて私のフランチャイズでやりませんかと、会の実施を赤坂でなく新宿の、私のよく行く「居酒屋天狗」を推挙した。賛同を得て、昨夕、新宿紀伊国屋店頭で待ち合わせをして、歌舞伎町の「天狗」に向かった。 あいにくメンバーは3人だけとなったが、みなさん家庭の主婦で堅気の人たちばかり。居酒屋に入るのも初めて。珍しそうに、店内をきょろきょろ見回している。メニューも酒の肴だけでなくピザや焼きソバまであること、値段の安いことに、いちいち反応する。その生態が面白かった。 この変則女子会は2時間の予定であったが、気がつけば8時半。主婦であるみなさんはご帰還ですねと軽口をたたくと、まだもう少しならいいという。ではと悪乗りして、ゴールデン街の「とんぼ」へみなさんをお連れした。そこに、わが大先輩のワルのTさんがいた。・・・ その珍展開を書くにはもはやエネルギーが尽きた。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
雨の門仲
森下町で、居酒屋「魚三」というのを見つけておいたら、門仲にある本店はもっと凄いぞと教えてもらった。何が凄いか体験しようじゃないか。ある人のお招きで門前仲町にある「魚三」へ、雨のなか行った。 ここは深川八幡や不動尊がある門前町。「場末」かと思っていたら、商店街がずらっと並んで賑やか。意外だったが、よく考えれば門前町だから当然かもしれない。昨夜は土砂降りの雨で、赤い灯、青い灯が雨にうるんで美しい。深町幸男のドラマのセットのようだ。 このあたりの酒場には全国チェーンの居酒屋などほとんど見当たらない。「地元資本」のコジンマリした店ばかり。 「魚三」本店は正式には「魚三酒場」富岡店。永代通りに面していて、メトロの門前仲町から徒歩2分。4階建てで、すべてのフロアが酒場。1から3階まではカウンター、4階は座敷席になっている。とにかく混んでいる。土砂降りの夜8時半だというのに、空きを待つ客が入り口に数人立っている。 前の客が団体で帰ったので、席が確保できた。窓際のいい席。 さっそく冷の日本酒を注文。やおら、厨房の窓口の壁に並んだ本日のおすすめの値札をじっくり眺める。品数が多い。おまけに安い。まぐろの刺身、ぶりの刺身、200円台。青柳でも300円ちょっと。 腹がへっていたせいか、冷酒が五臓六腑にしみわたる。とにかく満席のおしゃべりのノイズはすさまじい。わーんとうなりすら聞こえてくる。古参の従業員が、もっと静かにしてくれないと注文が聞こえないと大声で注意を促す。 客筋は中年男性の連れが多いが、若い男女の団体も少なからずいる。どの顔も楽しそうだ。苦虫をつぶしたような顔はひとつもない。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
喫茶店の同窓会
赤坂山王神社辺りまでお使いに行った。新緑が美しい。昼飯は赤坂一木で、九州料理屋のランチ定食をとる。渋谷と違って昼休みはオトナばかりの世界。騒音、街頭音楽がないというのは実に爽快である。 週明けは、普段音信のなかった人たちから続々連絡が入る。嬉しいお誘いがいくつもあって快い。何が起きているのだろうか。心の玉手箱を開けてみたい。 旧友の連絡のなかに、ひとつ悩ましいものがある。 荻窪ぽろん亭のライブハウス店仕舞いの件だ。友人のコーイチが30年近くぽろん亭の軒先を借りて二月に一度の土曜日の夜にフォークシンガーのライブハウスを主催してきた。そろそろ旗を降ろそうかと相談の電話を受けたのが、去る土曜日。 コーイチに最後宣言をするのをちょっと待てと忠言した。30年も続けたのだから終了することは原則反対ではない。長い間ご苦労様でしたと声もかけたい。だから、最後を飾るケジメのイベントをやったらいいのにと、内心のお節介ムシがちらと動いた。コーイチの偉業を讃える会をプロデュースしてあげようかと思いついた。 昭和50年代、荻窪八幡そばの喫茶店、ぼろん亭。店主は元デザイナーだった鷹山みよ。 みよの人柄を慕って、3~40名ほどの仲間が友がきを形成した。つまり常連客だ。この十年の間に、みよが死に、クボカクが永眠し、シスカが昇天し、カズオミがシスカを追うようにして絶息した。一番年長のみよでも60代。残り3人はみな50代でこの世から出て行った。 ぼろん亭の一期生が集まって、昇天した4人の偲ぶ会を兼ねてコーイチのライブハウスさよなら公演をやってみようかと思いついたのだが、いざ発起するとなると、連絡から名簿つくり、会場リザーブ、会計まで雑事がみっちりある。そのやりくりを誰かとシェアしなくてはと適材を住所録を繰って考えているのだが、なかなか見つからない。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
下ネタ
うちの目白遊俳クラブの宗匠、二六斎は津軽の人で助平だ。 4月に作った句。 出所後のお定と寝たる春の空 この句の遊び心に思わずにやりとする。 阿部定はあの事件で6年の懲役をくらったのだが、満期前に出獄したらしい。 その定さんの昭和30年代に、ドキュメンタリー映画がお定さんをスクープしている。その映像を先日見た。俳優の吉田輝雄が定さんに突撃インタビューしている。60の坂を越えていると思うが、におい立つような女っぷりの定さんだった。きっと、男はみんなお定さんのファンになるだろう。 宗匠の句だが、お定と寝たるということは、ちょん切られることを覚悟の寝屋入りだ。そりゃあ季節は春だろうなあ。たける春こそお定にふさわしい。 先の句を宗匠が作りたくなったのは、定さんのその後の人生と関係する。 定さんは昭和初期の人気職業バスガールになったという伝説がある。検札でこういったとか。 「お出しください。お切りしまああす」 この逸話を語りたいために、宗匠は「出所後のお定と寝たる春の空」を作った。いいなあ。やるなあ。では、やつがれも一句。 お定には二人キリの春の棒 (ツッコミ)えー、何を言いたいのか、分からん 切断後、定さんは褥に「吉、さだ二人キリ」と書いたという話が残っているから、ちょいとそれをいただいて仕上げたわけだが、いかが。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
雨のトキワ荘
南長崎2丁目のバス停を降りて、あの懐かしい商店街の奥まで入った。 雨がぽつぽつ降っていたが気にもならず、あのトキワ荘の跡地を義弟といっしょに目指した。ところが道を見失って、トキワ荘への入り口がはっきりしない。そのうちに雨脚が強まり、やむなく退散して最初の目的酒処ぽん太に向かう。 建築士の義弟に頼み事があったので、昨夜目白まで呼び出した。目白駅前で落ち合って、バスに乗って南長崎まで遠出するので、どこへ行くのかと弟は尋ねた。「良いから黙ってついて来い」と引っ張って行ったのがトキワ荘界隈のぽん太だった。この店の主人夫婦鉄馬さんとぽん太さんは俳句仲間。めじろ遊俳くらぶの主要メンバーである。このところ句会に出席できず敷居が高い。句会の様子も知りたい。酒好きの弟にも大磯の家の修繕を頼みたい。このふたつの要求を満たすため、渋谷から豊島区まで出ばったのだ。 むかえてくれたご夫婦はいい笑顔。とりわけ鉄馬さんの温顔についこちらの気持ちもほころぶ。久闊を叙して、すぐ牛すじの煮込みでぬる燗でいっぱいやる。ビール好きの弟はエビスビールをグラスに注いでいる。お通しは蕗の煮付け。これがめっぽううまい。蕗の立て筋の繊維が前歯にさくさく切れて歯ごたえが良い。醤油で煮染めた味も絶妙。料理の名手ぽん太さんはさすがだ。壁に貼ってある値札を目でよりわけてうどの天ぷらを所望。あとはゆっくり盃を傾けながら、弟に頼み事をしていった。 にしても、今年の5月は雨が多い。しかも春の細い雨でなくスコールのように大きい雨粒だ。折りたたみ傘を準備しておいてよかった。 8時過ぎ、ぽん太を出ると太い雨すじに閉口しながら、バス道まで出る。目白行きのバスは行ったばかりのようだ。やむなくタクシーに乗った。 雨のめじろ駅前もまた風情があった。駅舎から通勤客が降りて来てばらばらと傘を広げて、商店街に消えて行く。陸橋から対岸をのぞむと私鉄の黄色い電車が雨に滲んでいる。ここで一句ひねらなくてはいけないのだが出て来ない。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
初期の力
このところ、ずっと広島放送局が作り続けてきたヒロシマドキュメンタリーの系譜を調べている。 原爆が投下されたとき、NHK広島局は上流川の爆心地にあったから建物は大きく損傷した。当時260名いた職員の半数がその朝勤務していて、当日だけでも34名が犠牲になっている。中国新聞と並んで、史上初めての被爆したマスメディアとなった。 戦争が終わってしばらくは米軍が占領していたため、原爆のことはなかなか容易には放送できなかった。占領軍はラジオコードを発令して放送を縛っていた。その軛(くびき)から解放されるのは、昭和24年の占領終了まで待たなくてはならない。 やっと声をあげることができるようになったとしても、広島県域のローカル放送を通しての医療情報や助け合い番組が多かった。むろん、当時の放送は、テレビでなくラジオである。 1953年というから昭和28年、NHKのテレビ放送が始まった。広島は31年から試験放送が始まり、本格放送は昭和33年からだ。そのころはニュースが中心で被爆者の動静を短く伝えるのが精一杯で、ドキュメンタリーまで手が届かない。 昭和32年全国放送として、「日本の素顔」という30分のフィルムドキュメンタリーが立ち上がった。第1回の主題は「新興宗教」というからずいぶん大胆でラジカルだ。この枠は39年まで続いて306本の作品が生まれた。そのなかに広島をテーマとする作品が数本ある。 嚆矢とするのが、昭和35年8月6日に放送された「日本の素顔・黄色い手帳」。 担当したのは、当時広島局の社会番組担当の桜井健ディレクターだった。広島局初めてのドキュメンタリーである。黄色い手帳とは被爆者健康手帳のことで、被爆者にとっては命の守り札のような大切なものである。でも、被爆していても認定されず、その黄色い手帳を持てない被爆者もおおぜいいた。そういう貶められ捨てられた情況に対して桜井さんは憤りをもっていたのだ。 テレビ番組をほとんど作ったことのないにもかかわらず、彼はそれまで培った人の縁と土地勘を駆使して見事なドキュメンタリーを作り上げていった。 原爆報道を始めた頃の制作担当者はみな熱い。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
シネマディクトになりたいのに
このところ、劇場で見た映画もホームシアターで見たDVDも面白いものに出会ったためしがない。ああ、イライラする。昨夜とて、ツタヤが推薦する「映画の醍醐味」がある作品ということで、眠い目をこすりながら見た「クライム&ダイヤモンド」はがっかりだった。 詐欺師フィンチは縛られて頭に銃が突きつけられる。銃をかまえる殺し屋はもし面白い話を聞かせたら命は助けるという。この殺し屋は大の映画好き、映画フリークというわけだ。この設定からして、まあコメディであることはうすうす気づいてはいるのだがなんとなく胡散臭い。映画まめ知識は満載かもしれないが、肝心の、この映画の物語が薄味で気持ちが埋没しないのだ。話の合い間に、ドジなマフィアの手下や妖艶なドラッグクィーン、アクの強い検視官等が登場してくるのだが、それほど好奇心もそそられない。それがどうしたと突っ込みをいれたくなる。 映画好きの殺し屋なんて設定は、ウッディ・アレンのような才人でないとなかなかうまくいかないものだ。この映画は構想に10年かけたという触れ込みだが、それほどのものか。才能がないものはコメディに手を出すな。 劇場で「ジョン・エルガー」、DVDで「小川の辺」を見たがいずれもハズレ。ああ、イライラする。 藤沢周平の原作で、監督が篠原哲男だから期待してみた時代劇「小川の辺」。主演の東山紀之は悪くはないが、敵役の佐久間森衛を演ずる片岡愛之助はまったくものたりない。山田洋次は「たそがれ清兵衛」で舞踏家を敵役に起用した。その理由の正当性が今になって分かる。監督の慧眼に畏れ入る。 外国で高い評価を受けたという女優菊地凛子は、「ノルウェイの森」のときと同様ミスキャスト。あまりにトウが立ち過ぎている。大事な脇役、奉公人新蔵役の勝地涼もまったくスカ。朝ドラで株をあげた尾野真千子も少しもいいところが出ていない。藤竜也なんていい役者をこんなところで無駄遣いするなと、何度も叫びたくなった。 先週見た「マイ/バック/ページ」もそうだった。主演の妻夫木聡はまあ悪くないが、相手役の松山ケンイチがいいところなし。評論家川本三郎の原作はとても面白かったのだが、映画は遅滞している。原作は1968年から1972年の『週刊朝日』および『朝日ジャーナル』の記者として川本が活動していた時代を綴ったもの。三里塚闘争、ベトナム反戦運動などの「時代」を表すことに力入れ過ぎで、人がうまく描かれていない。監督が山下敦弘ということで期待したのだが、幻想だった。それでも、この作品がここにあげた3本のなかでは一番いいかな。 ああ映画中毒になりたい。植草甚一の同名のエッセーを読み始めたら、トリフォーの「大人はわかってくれない」を見たくなった。さらに連想して木下恵介作品を無性に見たくなる。 先日、ロケで矢切の渡しへ行った。木下の「野菊のごとき君なりき」の舞台だ。あの映画の夢のような光景にもう一度浸りたいという気になった。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
あと9ヶ月
長い休日も終わった。昨日だけスタジオでナレーション録音に立ち会った以外はずっと自宅で読書とテレビの日々。これほどフルに休んだのは何年ぶりだろう。5月は繁忙期にあたりまともに休むということは少なくとも30代以降なかった。16年前に倒れたのも6月だったから5月は仕事をしている。とにかく連休をしっかり家族のためのサービスなどということに腐心した記憶がない。 あと9ヶ月で完全退職する身。そろそろ減速するというか、仕事にエンジンブレーキをかけることをしておかなくてはいけない(と自戒するのだが)。ワーカホリックの体質からなかなか蟄居できない。テレビを見ていてもつい、構成が気になったりナレーションのコメントをいじりたくなったりして、少しも余暇にはならない。 身の回りを整頓すること。会社と自宅の机周りにたまったもろもろの書類、資料、書籍の処分はやっておかなくてはいけない。さらに、会社から貸与されている業務用のパソコンのなかに滞留している個人情報もより分けて、別保管する必要がある。 来年1月末で会社を退いた後の2月以降。とりあえず句会に完全復帰をめざす。そのための句作のハビトゥスを復活させておかなくてはいけない。当面、石田波郷句を研究しようと考えている。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
ずっと大磯
連休の2日目の5月3日から大磯へこもった。家族はみなそれぞれの予定があるということで自主活動の黄金週間となる。家人は友達と同一行動で関東近郊の小さな旅、娘は高校時代の家庭教師だった人のお墓参りを兼ねて大磯1泊。息子は仙台あたりで取材をしているとかボランティアを手伝っているとかで消息ははっきりしない。とにかく子供が幼かった頃の黄金週間とはまったく違って、それぞれバラバラのライフスタイル。これは当然のことだ。息子も娘も就職し、独立して家を出て行ったのだ。今は、近くに住んでいるとはいえ、息子、娘の暮らしはそれぞれ別世帯なのだ。行動がちりぢりなのも不思議でない。私はといえば、大磯でひとりだけのホリディ。タラリ。 2日に5月の異常豪雨が日本列島を襲った。5月の降雨記録としては過去最高をマークするほどの雨量があったのだ。東日本ではさらに最悪の結果が起きたようだが、南関東も例外でない。神奈川県も箱根から湘南にかけて大雨が降った。大磯はそのど真ん中にあった。その夜、大磯の家にいたのは娘だけ。そのすさまじい雨脚にすっかりびびった。あちこちに不具合が見つかった。雨どいだけでなく、雨が激しく暮らしを破壊するごとく襲って来る。自然災害の恐ろしさの一部でも娘は初めて味わったのだろう。以降、彼女の持家に関する言説がおとなしくなった。よほど、この夜の雨に懲りたにちがいない。だが娘は一晩中雨と戦った。とりあえず、大雨に立ち向かったことを褒めてやりたい。 雨があがり澄み切った大気の5月3日になって、私は大磯へ戻った。前日からの娘に加えて家人も義弟も集まったので、3日分ぐらいの調理をすませて都内へ家人は夕方帰って行った。娘も義弟も帰った。紅葉山の広い家にひとりで夜を過ごす。真夜中、トイレに立って、向いの山の峰越しに春の星座がうっすらと乳色に光っていた。 3日、4日。まる2日間。誰とも話さず、テレビも出来るだけオフにして過ごした。自堕落な生活を続けた。眠りたいときに眠り、食べたいときに食べて、脱プンをした。一日中パジャマ。ソファにごろごろ転がり、ジャンル、作者かまわず濫読読書。小説であれ、エッセーであれ、戯曲であれ、ルポルタージュであれ、目に入ってくる書物をあたりかまわず読み散らした。もっとも心に残ったのは、『回想 小林勇』とレベッカ・ブラウンの『処方箋』。三木清の評伝「帝国の哲学」は思いのほかすらすら読めた。5年前購入したときはチンプンカンプンだったのだが。 意外だったのは、昔よく読んだ天野忠の晩年のエッセーはまったく受け付けなかった。目がかすみ、足は思うように動かず、古い友はだんだん減っていく晩年の苦渋に満ちた天野の小さな世界。とても正視できるものでない。じゅつないこっちゃ。読もうと思っても1頁もいかないうちに、天野の姿が己が老後と重なる。 別の文庫本で、城山三郎が、天野の詩はあたたかい冷やかさがあると指摘していて、感心した。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
職場の断捨離
京都から帰って、ずっと家に引きこもっている。黄金週間だから出かけなくてはと考えたのは、子供が小学生の頃のことだ。 成人してからは、この時期に出かけようという気も起こらない。家で、買い溜めた雑書をだらだらと読みふけるのがなにより。 ブログを始めたのが2005年。もうかれこれ7年近くになるのか。最初は、記事を作成するのが面白くて、夢中で日に何本も書いたものだ。途中、海外取材で日本を離れたときも、異国のホテルで四苦八苦しながら入力したこともあった。 最初の設定に不十分な措置があったりして、人気ブログランキングでは所属する分野がテレビになってしまった。ランキングの周りのブログのタイトルや内容を比較すると、この「定年再出発」はしっかり浮いていた。 第1次定年の58歳のとき、少し口寂しいと思って駄文冗文を書き散らすことを思いついた。 それなりに、同世代の見知らぬ人が読んでくれればいいと思って書いてきた。 ところが、先々週、突然ランクが上昇しはじめ、5位にまであがった。いったい何が起きたのかと驚いたが、どうやら玉木宏さんのファンの方たちが大挙して、この「埴生の宿ブログ」にやって来られたようだ。数日間、高いランクが続いたが、それも終息。まだ普段のちまちまぐずぐずブログに戻っている。 退職まで半年余りとなって、そろそろ職場に置いたままになっている書籍、文房具、資料などの処分を考えておく時期にいたった。2012年になって、次々に仕事が押し寄せてゆっくり考える時間がなかったから、この黄金週間こそ「断捨離」を本気で実行しよう。 まず、ロッカー4カ所に入れた番組資料、次に自作他作の番組DVDがざっと100枚。机の上の本棚に並ぶ大型ファイルが数十冊。机の足元に隠してある段ボール箱に入った小物。これらをどうするか。 今から出社して、よく検分して処分対策を立てよう。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
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